蜂蜜漬け紳士の食べ方
「…アキ」
かけられた優しい声に、彼女が顔をあげる。
伊達は真剣に目を細めていた。
「何か私に用があったんじゃないのかい?
私に電話も無くマンションへ来るなんて、今までに無かっただろう?」
その答えは、存在していて存在していない。
伊達にしてみれば、それはまさしく彼女への心配であって、心中にある事を聞き出そうとしての言葉だ。
しかし敢えてそれを理解しつつ、アキは無視を決め込んだ。
言えない。
言えるわけもない。
モデルさんと一緒にいないでください、なんて。
そんな子供みたいな馬鹿げたこと。
ほんの少しだけまつ毛を伏せたのち、伊達へ見せた彼女の薄い笑顔は「いつもと同じ」だった。
「いえ、なにも」
「…本当に?」
「はい」
小さな溜め息にも似た呼吸が、彼の薄い唇から漏れた。
ふと、大きな掌がアキに伸び
咄嗟に彼女は、肩をこわばわせてしまった。
伊達の手に。
彼に対して、想いの一つも伝えられない自分に。
「…………」
骨骨しい指は、僅かにたじろぐ。
ほんの一瞬の沈黙は、けれど確かに二人の空間を軋ませていた。
アキはいつまでも降りてこない手のひらの行方に、顔をあげる。
伊達は自分の手をひっこめ、薄く笑っていた。
「…じゃあ、また。気をつけて帰りなさいね」
声をかける間もなく、玄関ドアが容赦なく外界を遮断した。
閉まった後の煉瓦色のドアの前。彼女はしばらく佇む。
いつか、彼と初めて会った時とそれは、まさしく逆だった。
第三章に続く