蜂蜜漬け紳士の食べ方
【3】 身の丈の身の程知らず
他人の気持ちなど、他人に透けて見えるものではない。
まして、自分の思い通りにしようと思う事自体ナンセンスだ。
アキは、今までに読んだ本や見た映画でそんなことは重々分かっていたつもりだが、
だけどどうして、頭で消化出来ているはずのことがこんなに心にのしかかるのだろうと思った。
無論、灰色の思考の原因は言うまでもなく、伊達圭介とのことだ。
あれから一切連絡はない。
というより、アキの方から無意識に「連絡を取るタイミング」を避けていると言った方が正しい。
仕事があるから、とか
今は夜だから、とか
今は朝だから、とか
たった数分。
電話をかけたり、ちょっと指を動かしてメールを送るだけなのに、それでもアキは心の端を踏みつけられたような鈍さを感じていた。
端的に言えば、億劫だったのだ。
『億劫』。
果たして、ようやく気持ちを確認し合えた恋人の間に、この単語が生まれることがあるのだろうか?
ドラマや映画や漫画では、恋人同士はいつだって甘く笑い合って
自分の感情を相手にぶつけることすら厭わず、ケンカをしてもそれは更に絆を強くするイベントで…。
「伊達大先生の個展、取材担当は桜井。お前な」
紙パックのカフェオレをずるずる啜りながら、編集長は何気なく言い落とした。
伊達と連絡を絶ってから、まさしく1ヶ月目のことだ。
「え」
てっきり次の号の企画を任されるとか、そういう類の話だとばかり思っていたアキは、編集長の前でメモをとる手を止めた。
「なーんて顔してんの、お前」
編集長はストローをお遊びに噛みながら言う。
「そもそも、伊達大先生ん所に取材に行けるようになったのは桜井の働きの賜物だからな。
ってことは、少なからず先生はお前のこと気に入ってるってー訳で…」
「…はあ、まあ」
煮え切らない彼女の返事に、編集長はもちろん気付かないままニヤニヤと笑い続ける。
「気に入ってる人間から取材受けた方が何かと好都合だろ?
しかもあの伊達大先生がどういう訳かやっとやる気になって、個展なんか出してくれるんだから。
こりゃ来月も部数アップだな、はっはっは」
アキは、手元のメモ帳に意味の無いケムシをぐちゃぐちゃと書きながら、「ええ、そうですね。伊達先生も人間ですし」と曖昧に笑った。
インクで黒くなりつつあるメモは、まさしく誰かの鬱屈した気分そのものだ。
「ああ、それで」
唇で挟んだストローを上下に動かしながら、編集長は付け加えた。
「桜井、個展の取材は初めてだったろ?誰か一人つけて、二人でやってくれ」
「はあ、そうですね…」
「誰でもいいぞ」
ぐちゃぐちゃの螺旋の線は、ようやく止まった。
アキは何とはなしに、ただ、同期で話しやすいからという理由で彼の名前を軽く口にした。
「じゃあ、中野さんでもいいですか」