蜂蜜漬け紳士の食べ方

外はいつの間にか夕暮れが近くなっていたが、午後からの天候の崩れで、窓から射す光は中途半端な灰じみた赤色になっていた。

やたら苦いコーヒーを飲み終わっても、編集長との雑談が終わっていても、アキはどうにも帰宅する気が起きなかった。
手で何かを、頭で別の事をしていなければ、きっとあっという間にこの灰色に引きずり込まれてしまいそうだった。


今日のインタビューを文字に起こそうとするも、レコーダーは見つからなかった。

おそらく中野が持ち帰ってしまったのだろう。

アキは仕方なく、再来週締め切りの小さな記事を、やたらと時間をかけてキーボードへ叩きこんでいた。


最初は彼女の仕事ぶりを何となく眺めていた編集長だったが、いよいよ夜が始まる頃になって、その口を開いた。


「お前さあ、彼氏とかいないの?」

唐突かつぶっきらぼうな声に、しかしキーボードを打つ手は止めずにアキが返す。


「いません」


聞いた本人は、つまらなそうに間延びした声を出した。


「仕事熱心なのは大概にしてさ、もう少し器用になりゃいいのに」


アキの視線が、編集長のデスクへ向く。

編集長はやたらにっこりと笑って彼女を見た。


「お前の仕事ぶり、俺は好きだけどさ。大事な部下だからこそ、プライベートも楽しく過ごして貰いたいと、こう思う訳よ」

「……」

「ま、体は壊さないようにしとけよ。俺は帰るから」


「…お疲れさまでした」

「ん。じゃーな」



車のキーだけを手に持ち、編集長は小さく口笛を吹きつつ、編集室を後にした。




「………」


ぽつん、という文字が浮かび上がびそうなほど、独りの空間は広すぎた。

唇から溜め息が染み出る。


再び椅子に座ろうと腰を下ろしかけた時。
しかしそれを許さないとでも言うように、卓上の電話がつんざくような音を出した。

驚きが混じり、やたら勢いよく電話に出たのだが


「はい!『キャンバニスト』編集部、桜井がお受け致します!」


電話の声に、アキは血の気が引いていくのを感じた。





『…ああ、伊達ですけど』


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