蜂蜜漬け紳士の食べ方

慌てて編集部を出ると、確かに市道にはシルバーの外車が一台だけ停まっていた。

その車体のカラーは赤色じみた灰色に馴染むようだ。



「……」

しかし実際にその車を目にすると、アキの足は思う以上に動かなかった。

だが忘れ物を預かってくれている以上、自分のわがままを通す訳にもいかない。


アキは唾を一つ大きく飲み込んで、シルバーの車へ近寄った。

黒いスーツを着た男が、彼女の気配に気付き、左運転席のウィンドウを下げる。




「やあ、仕事場に悪いね」


インタビューの時はきっちり首元を締めていたネクタイは、今や雑に緩められている。
やはり普段緩い格好ばかりしている伊達には苦しかったのだろう。


「あ…いえ、すみませんわざわざ。あの、忘れ物って」

「うん、とりあえず乗ってくれるかい。ここにあんまり長く停めていたくないんだ」

「で、でも、忘れ物貰えればそれで…」

「いいから乗りなさい」


有無を言わせない圧力に、アキは閉口する。

無言のまま助手席に乗り込み、シートベルトを締めると、車は緩やかに発進した。


いつの間にか夜を迎えていた街並みは、目に眩しいほどネオンで満ち満ちていた。

緩やかなエンジン音以外に声の無い静かな車内に、もう耐え切れず、彼女は半笑いで口を開く。



「…伊達さんって、車を持っていたんですね」

「まあ、一応ね」


クリーンな匂い。

ほとんど乗っていないような清潔な車内に、アキはどこか場違いなような気がして、自分の足なんて伸ばせないままだった。

一向に自分から話そうとしない伊達の横顔に、彼女が気付く。


「伊達さん…もしかして忘れ物って」

「嘘に決まっているだろう」


間髪入れない答えだった。
しかし伊達は少しも悪びれないままで、続ける。


「でなかったら、君は私と話そうとしないんじゃないかと思ってね」

「…何でそう思うんですか」



問いに、運転手は答えなかった。

代わりに「少し寄り道するから」と一方的に言葉を告げ、ウィンカーを左へ出す。
彼女が「どこへ?」と聞かないうちに、車体は交差点を左折した。

アキのアパートは、あの交差点を右に曲がらなければならなかった。


運転する伊達を見ても、筋の通った鼻、薄い唇、横顔からは何の表情も感情も読み取れない。


「あの、伊達さん、どこへ行くんです?」

「…うん、ちょっとね」


それでも、伊達はまるで迷いなくハンドルを切る。

行き先はアキの乗る前から決まっていたのだろうか。



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