蜂蜜漬け紳士の食べ方

猥褻な言葉は、伊達の淡々とした声色でうまく中和された。
そのせいで、彼女は言葉そのものの意味を咀嚼するのに数秒かかった。


「え…」



彼女が咄嗟に、隣の男を見る。

しかし彼の視線は、窓の外を向いたまま。そしてふいに、右前の軽自動車を指差した。


「…ああ、ほら。多分あの車もじゃないかな。動いてるだろう?車体」


素直に彼の指先を辿ってしまったアキは、早々に後悔した。

確かに彼の言うとおり、走ってもいない軽自動車は不自然なほどにその車体を揺らしていたのだ。


体中の皮膚を覆うような、ベッタリとしたとてつもない気まずさを知る。

伊達は今まで紳士で、優しくて、…そんな彼から、そういう下世話な話を聞くことはもはや羞恥に近い。



アキの小さなこぶしが、膝の上で固くなる。

肩に力が入る。


性行為なんて、セックスなんて、そんな単語を恥ずかしがるほど少女でもない。

それでも、どうしてだろう。
彼女の目頭に涙が溜まり、体中の血液が頭に上り、嗚咽しそうなほどに呼吸が乱れていく。


ここでようやく、運転席の彼の視線が彼女へと注がれた。


アキ、と少し掠れた低い声。


それが耳を濡らすのと同時に、伊達はゆるりと彼女へ覆いかぶさった。


「私の方を見てごらん…」


いつの間にか彼の手で外された助手席のシートベルトが、ゆっくりと巻き戻されていく。

何を思う間もなく、アキの唇はさらわれた。


しかしそれはいつもとまるで様子が違っていて、ひどく乱暴だった。



息をしたくて頭を振っても、伊達の唇は離れてくれない。

それどころか、顎を掴まれてほとんど無理やりに口を開かされ、その隙間へ舌を更にねじ込む。

熱い舌が彼女の口内を乱暴に掻き回す。飲み込み切れない唾液が唇から溢れ、顎を濡らしていく。


「だ、てさ」


返事の代わりに、荒い男の息が車内を満たす。

もうほとんど酸欠で、アキはいよいよもって伊達の胸板を強く押した。

その抵抗で、思った以上に彼はあっさり彼女を解放する。


「…っごめ、ごめんなさい…苦しくて、あの」


しかし伊達は少しも悪いと思っていないのか、スウッとその切れ長い目をすがめた。




「私のことが怖い?」


「えっ…」


「アキは、私のことが怖いの」



質問の意味が、分からなかった。

無理やりなキスをされたうえで、何でこんな意味の分からない質問をするのだろう。


質問の意図が分からずも、しかしアキは強く首を横へ振った。

だが、伊達の強い視線の色は変わらなかった。

ふいに目が彼女の手へ向けられる。
硬く強く握られたままの拳へ。


「……でも震えてる」


言われて初めて、アキは自分の異変にようやく気がついた。

震えていた。
寒くもないのに、目の前の彼を『怖い』となんて思ったこともないのに。


興味を失ったかの如く、伊達は姿勢を運転席へ戻した。

再び重苦しい空気が満ち満ちる。

彼女は慌てて拳を握り直した。
気まずい雰囲気を取り繕うように。




「アキは、…私のこと、好き?」


彼女は、顔を上げた。

そこには、今や少しだけ悲しげな目をした彼がいる。



「な、何でそんなこと聞くんですか。
好きですよ、もちろん」

「じゃあ、……俺とホテル行こう?」



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