蜂蜜漬け紳士の食べ方
ハンドルにもたれかかったまま、けれど伊達は強い視線のままアキを見ている。
彼女の口から出たのは、苦笑いと自嘲が混ざった曖昧な笑いだった。
「どうしたんですか…伊達さん、おかしいですよ?はは」
「別におかしくはないよ」
しかし伊達の声色も視線も、何一つ揺るがなかった。
「抱きたいって思うのは、男として普通だろう」
「……はあ、まあ、そうですね…いえ、そうじゃなくて!」
「私とは、嫌?」
「いえ、あの…嫌とか、じゃなくて、…」
「じゃあここでしようか」
「………」
おかしい。
アキは、自分ではなく
目の前の彼に異変があることを、知る。
無愛想とは言え、少なくとも彼は、アキが嫌がることは絶対にしなかった。
こんな風に半分拉致に近い状態で、監禁に似たことをしている状況下で、体を求めてくるような人間ではなかったはずだ。
「伊達さん……どうしたんですか」
アキの言葉尻を濁らすように、この重い空気には不似合いすぎる軽快なメロディーが車内に溢れ出した。
鞄に入れたままのスマートフォンだった。
二人の視線が、スマートフォンへと注がれた。
「……電話。君のじゃないのかい」
言われ、慌てて鞄からスマートフォンを取り出せば、画面には『中野くん』の文字があった。
「は、はい、もしもし」
『おう桜井!悪かったな夜に。今会社?』
「ううん…会社ではないよ」
アキはちらっと伊達を見た。
対する伊達は、ただぼんやりと窓の外を眺めている。
『俺、今日のインタビューのレコーダー持って帰って来ちゃってさ。もしかしたらお前探してるんじゃないかなと思って』
「あ…そうなの、うん」
『悪かったなー。もっと早く気がついてればよかったんだけど』
「う、ううん。大丈夫」
『じゃあまた会社でな』
「わざわざありがとう……じゃあね、中野くん」
盛大な溜め息ののち、伊達はエンジンキーを回した。
「いいよ、会社まで戻ってあげるから」
その唐突なセリフに、アキが顔を上げる。
視線が彼とぶつかった。
「違うの?仕事の呼び出しじゃないのかい」
この時、果たして彼女はどう答えるべきだったのだろうか。
いいえ、違うんです。
そう言って、この妙に違和感のある空気を吸い込み続けるか。それとも…。
「はい、ええ、あの…すみません、ちょっと、記事に訂正が、あるみたいで」
思うより早く、つたない偽りは口から出た。
「そう」
ただそれきり。伊達は一言だけ口にして、アクセルを踏み込んだ。
車体が緩やかなエンジンの振動を始め、そのまま来た道を戻り始める。
それでも彼の妙な態度は、ここに来る前には戻らないままで。