蜂蜜漬け紳士の食べ方
編集部に着く頃には、もう街はすっかり夜に染まっていた。
ビジネス街のここにはほとんど人影もない。
結局お互い一言も会話を交わさないまま、車は再び同じ市道に停まった。
「…ありがとうございました」
重苦しい空気に手指すら支配される。
アキの謝辞に、運転席の男は適当に一音返しただけだった。
じゃあね、とか
また今度連絡するよ、とか
次に逢うことを予感させる素敵な言葉なんて、今の男から出るはずもなかった。
力なく助手席のドアを閉めると、車は流れるように走り出していき、早々に交差点を曲がっていった。
「…………」
そのバックライトをぼんやりと眺めながら、アキは緊張が解けたように長い長いため息を吐き出す。
それはもはや鉛のような息だった。
さあ、これはいよいよ別れるべき時が来たのかもしれない。
彼女はそう唐突に、かつ冷静に直感した。
ドラマや小説や漫画や映画なんて、大体が「どちらかの環境が劇的に変化する」と別れの道を選んでいたように思う。
例えば、恋人が久方ぶりの個展で大成功を収めた、とか
…絵のモデルに、綺麗な人を毎日自分の家に上げる、とか。
アキは、編集部のあるビルを見もせずにそのまま足を北へ向けた。
「…やっぱり、ファンのままでいた方が良かったのかも」
ぼんやりとした呟きは、しかし確実にアキ自身の頭へと届き、それは何故だか目がしらを潤ませた。
第四章へ続く