蜂蜜漬け紳士の食べ方
吊革を握る男性は、電車が駅へ着くのと同時に客を掻きわけるようにして無理に外の世界へ出て行った。
アキは、見る対象が無くなった目を仕方なく車両外へと向ける。
駅にごった返す人の波は、いつも朝に見る風景と何も変わらない。
「………」
さて、あれに似た伊達の手に最後に触れてもらったのは、果たしていつだったろう。
車両が発進すると、再び体は人の波にもまれ始める。
───紳士的でない俺は、嫌い?
いつの日か彼は確かにそう言っていたのだが
紳士的な態度が180°覆される瞬間など、いまだにアキは見ていない。
最近巷で流行っているらしい『壁ドン』なんて、あの飄々とした伊達がする姿も想像出来ないし
事実、彼はアキが嫌がるようなことを極力感じ取り、誠意ある対応をしてくれているように思えた。
いや、もしかしたらただ単に『徹夜明けで疲れているから』というだけかもしれないが…。
アキは、眠りに今すぐ落ちそうな瞼をゆっくりと2、3回瞬きさせ、今度は車内へと視線を移し変える。
1か月で肉体的関係まで進めば良いとか悪いとか、3か月でキスまでしていないのは悪いとか良いとか
…アキは、もう恋愛の進捗状況を嘆くような年頃ではない。
「ひとそれぞれ」。
学生時代はあんなに横の人間が気になったというのに、社会に出てから「平均」は全く気にしなくなった。
「ひとそれぞれ」。
この言葉どおり、性格も学歴も親の健康状態も収入額も何もこれも違う他人が集まって出来る社会で
「あの子はどうだろう」なんて、いちいちそんなことにかまけていたら自分の精神がもたないのだと理解した。
アキはふいに、体の力を緩める。
次の駅に着いた車両のドアが、開く。
両足を踏ん張らなかったせいなのか、それとも彼女の意志なのか。
彼女は、降りる乗客に巻き込まれるような形で、駅のホームへ投げ出された。
そこはもちろん、アキのアパート最寄りの駅でもなく
伊達のマンションの最寄り駅だった。