蜂蜜漬け紳士の食べ方
「…無理して来なくても良かったのに」
自分のマンションを突然訪ねてきたアキに、伊達はため息混じりで開口一番にそう出迎えた。
付け加えるが、『来ちゃった』と恋人が約束なく訪問するこのシチュエーションが、徹夜明けの彼女のせいで色気のないものだったことが、彼のため息の原因ではない。
伊達さんに逢いたかったんです、なんて一言でも加えれば可愛らしくなったものを、アキは元来の癖で「すみません…」と力なく目を伏せた。
「…いや、別に責めている訳ではないよ」
言いながら、伊達は彼女の目の下にあるクマに気付く。
「入りなさい。仕事はひと段落ついたんだ。お茶でも淹れてあげるから」
相変わらず白いトレーナーは、油絵具で彩り豊かに汚れている。
アキは小さく会釈し、玄関でパンプスを脱いだ。
むくんだ足は、窮屈なパンプスを脱ぐと一層重く感じる。
彼はスマートに彼女をリビングへ招き入れ、ソファへ座らせた。
「ミルクティーがいい?それとも、ダージリン?」
「ミルクティーで…」
ふかふかなソファは、一旦座りこめば、まるで沈むように全身を心地よく包むようだった。
伊達の部屋は、やっぱりいつもと変わらず静かだった。
雑音も、騒音ひとつもない。
取材始めの頃は、テレビや音楽すらもないこのリビングを恨みもしたが、馴れてしまえばなんてことはない。
むしろ、彼の部屋に足を踏み入れた途端、騒々しい現実世界から一線を画したような感覚になる。
まるで辛い現実から逃げられる唯一隠れ家のような…。
「………」
リビングの掃き出し窓から、胸が清々するような青い空と朝日が覗き見えた。
今日は一日中天気が良さそうだ。
暖かな日光がリビングの空気を温めていくのが肌でも感じ取れる。
大きく呼吸をしたところで、ようやくアキは自分が眠かったことを思い出した。
「ふあ、あ…」
大きな欠伸をかみ殺すと、それは一層アキを襲った。
一度の瞬きが二度に増え、1回の瞬きから目を開けるまでの間隔がじわじわと長くなっていく…。
かろうじて意識を保とうとうつろいでいる時間がとても心地いい。
「はい、お待たせ…」
伊達が二つのティーカップを携えてリビングへ戻った頃には、彼女はソファへ全身を預け、穏やかな寝息を立てていたのだった。