噎せかえる程に甘いその香りは
―――あれは無事短大も卒業し、彼の会社へ内定も決まった時の事だった。
父に自分の存在を明かす気もなく、それでも少しでも彼と接点が欲しい、娘としては適わずとも彼の力になれたら…そう思って秘書の資格まで取って。
入社して父の近くに行ける事を心待ちにしていたあの頃。
父が倒れた。
幸い命に別状はなかったけれど。
『仄は本当にそれでいいのか?』
このまま存在を隠し通して、いつか後悔する時が来る。
そう蓮実さんに諭されて、戸惑いながらも社長に会う事にした。
蓮実さんに連れられて行った病室。
最初に蓮実さんが話しを運んでくれるから良いタイミングで入ってきたらいい、と言われて入り口の所で隠れるようにしてその時を待っていた。
戸口に隠れる様に立っていた私の耳に届いた二人の会話。
『父さん、水守紅花さんという女性に心当たりはあるか?』
紅花、それが母の名前。
私はドキドキと胸を高鳴らせながら次の言葉を待っていた。
ふっと吐息を継ぐような笑声。
『随分と懐かしい名前だ。』
覚えていてくれた。
ただそれだけで嬉しくて舞い上がりそうになった私は次の瞬間奈落に突き落とされた。
『オマエが何処で知ったのかは知らないが…。彼女とは一時の戯れだ。私が愛してるのはオマエの母だし、私は家族を愛してるよ。』