イマノソラニン
あーあ、って思う私がいて、
やっぱりね、って思う私もいて、
悲しいなって思う私はもう、いなかった。

慣れ過ぎちゃったのかな。
彼が浮気をしてる証拠を、
すんなりと無視できるように、
いつの間にか私はなってしまった。

昔の私は、
何度も何度も浮気をする彼に、
毎回毎回同じように泣き喚いて、
「私のことはどうでもいいの?」
って聞いて、
「一番、愛してるよ」
って彼に言われて、
安心してた。

でもそんなことが不毛なんだって思うくらい、私と彼はそういうやりとりを何度もしたし、
言葉はいくらでも取って付けられると、馬鹿な私もそのうち気づいた。

それでも彼と一緒にいることを私はやめないのだから、私は愚かだし、きっととんでもない馬鹿だ。というか馬鹿を通り越してるはずだ。

彼のジーンズのポケットから出てきた女物のピアス。
なかなか好戦的だな、と思うまでに留まった。
涙は出なかったし、泣きそうにもならなかった。

彼は女の扱いに慣れてるし、女を喜ばせるのが得意で、今流行りの塩顏ときている。
要はとてもモテるのだ。
それ相応の人数、彼と付き合いたいと思ってる子がいるのは知っている。
そのうちの8割くらいの女と彼が寝ているのも知っている。

それでも彼が私と付き合ってくれてるのだから、やっぱり私が一番なんじゃないかって涙を堪えながら何度も思い直そうとしたこともあったけど、彼は別れ話をするのが面倒くさくて私と付き合ったままなんだ、って、これだけ長い間一緒にいるとわかってきた。

私も歳だし、次に浮気の証拠が見つかったら、この家を出ようと思っていた。
彼との幸せが詰まった家。
私の妬みが降り積もった空間。
彼と一緒にいたことで、私はどれほど汚い人間になってしまったのだろうか。
彼と離れることで、私は少しは元の黒くない感情を取り戻せるのだろうか。
いずれにせよ、離れてみないとわからない。
彼と戯れ合うのは、もう疲れた。

「さよなら。」
別れを唱えるこの曲は、彼が教えてくれたバンドのものだった。
変わりゆく『私』が、少しずつ彼氏への気持ちを失っていくようなストーリー。
私はこの『私』とは違う。
彼と一緒にいるほどに、私は変化から遠ざかって、私は変化したいから、彼と離れるのだ。
どちらかというと、私より彼の方が、変化しやすい。
私と一緒にいる間、彼は何度変わっただろう。
一緒にあったはずの私たちの気持ちは、今どれほどの距離感をもっているのだろう。

鍵をかけて、そのまま鍵をポストの中に入れた。
空き巣に入られても、何もないような家だ。
所詮その日暮らしだった。
それでも私は幸せだったけど。

泣きたかったわけじゃない。
辛かったね、って自分を労いたかったわけじゃない。
彼に対してこんなに気持ちが残ってたわけじゃない。
泣きたかったわけじゃなかった。

ぼやけた視界の中で、初めて寝たときの彼の背中が浮かんできた。
骨ばっていて、薄い胸板だったけど、あったかくて、この人になら私は頼って生きていけるかもしれない、って思ってた。
一度も頼らせてくれたことなんてなかった。

私が浮気を咎めたとき。
肩についた長い髪の毛をとりながら、
「そんな目くじらたてるなって。」
「俺が愛してるのはお前だけだから。」
そう言って笑った彼。
その髪の毛は誰の?って聞きたくて、
聞けなかった私。

情けない私も、女にだらしなくて馬鹿な彼も、私の涙と一緒に流されて、一緒に死ねたらいいなって思った。

彼は泣かないだろう。
私のいなくなった部屋を見て。
ストックしてあった女の中から、一番家事ができそうな女を選んで、またあの場所に住まわせるのだろう。
私だけじゃなかったんだきっと。
いろんな女の妬みが積もった部屋。
いろんな女の幸せがあった部屋。

私に幸せは見つかるだろうか。
手に入るだろうか。

わからないけど、今度こそは独りよがりじゃなきゃいいなと思った。
私が愛を注いで、身を尽くして、それで満足する、自己満足な幸せじゃなくて、誰かとつくっていけるような、そんな幸せ。

涙を拭いたら、笑えるようになった。
今はくっきりした視界で、スマホをいじる。
電話帳の彼のデータを消す。
躊躇いはなかった。

明日はやってくる。
泣いてても、笑ってても。
笑えなくても、後悔しても。
それでもいい。
一歩踏み出したことに変わりはないから。



〈End〉
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