死にに行く。ナイフと馬人間と
ナイフと太陽
何が何だか分からないが相手が怒ってるのは鈍い俺でも分かる。
その日のタイの気温は三十度を軽く越えて何度も水を飲みに休憩所に戻った。
俺達は、日本から下請け会社としてトンネルを掘りにタイの首都バンコクから車で一時間ほどの場所に居を構えていた。
トンネルに附帯する道路工事もあり総勢百五十を超える作業員職員がいた。
そのうちの七割は、日本人だったが三割はタイ人占めていた。
二十代前半の僕は、単価つまりお金が良い事を理由に来ていてタイに対してもタイ人に対してもさして興味がなかった。
休みに一日安い値段で買うのも純粋なタイの女より中国系のタイ人に決めていた。
タイの女が、綺麗とは思えなかったからだ。
男達は、時に日本人の僕達を怒らせた。
働かないからだ。
暑い国の男が働かないのは、その後にあちこち海外を回って見る事になるが当時は、それを知らなかったし、彼等の賃金が驚くべき安さで有るのもこの頃は知らなかった。
俺は、トンネルを掘った後を追いかけてコンクリートを打設する班に入っていたが、当時日本ではコンクリート班は一日一万八千円が相場だった。
タイでは二万八千円を貰えた。