楓の樹の下で
ここで暮らしてからもうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
この一ヶ月物凄く早く過ぎて行った。
毎日同じ時間に同じ事をする生活。
なのに、どの日もオレにとっては全部新しく感じる。
今では字も書けるようになり、ひらがなはもちろんカタカナも覚えた。
大体の物の名前も覚えた。
向日葵の中はもちろん、外の物の名前も言える。一日一回は外に連れ出してくれてた。
買い出しに一緒に連れて行ってくれてたんだ。
だからスーパーの物だって覚えた。
どれが玉ねぎで、どれがトマトか今ではわかる。お金だってわかる。いくら出せばいいのか、お釣はいくらとか、計算出来るようになった。だから、一人で買い物だって出来るようになった。
どれも朱里ちゃんや正親兄ちゃんや向日葵の皆が教えてくれた。

反対に覚えたくないことも覚えた。
ここに来た、あの日大毅が撫でられたのを見て嫌な気分になったのは、嫉妬ということも。
あとはやっぱり、オレの事件のことだ。
母親がどう殺されたのか。日頃どんな生活をしてたとか。
オレの母親の名前は山科冬美。
15歳の時オレがお腹にいることがわかり親に反対されて家出をした。そして16歳になって自宅で産んだらしい。母親が20歳になる前に、母親の母親と父親は事故で死んだ。
テレビのワイドショーにモザイクで顔が隠れて声を変えた母親の友達っていうのがマイクに向かって話していた。
オレの父親になる男はオレが二歳になる前に家を出て行き今はどこにいるか、わからずじまい。
テレビにコメンテーターって奴がいて、そいつが言ってた。
『この子は可哀想ですよね。この子が一番の被害者でしょう。』
ゴミのように袋に入れられて捨てられてたことも知った。
それを知っても悲しいとか、辛い感情は湧かなかった。
正親兄ちゃんと朱里姉ちゃんに感謝が生まれただけだった。
そのテレビを見てる間、鈍い音が頭の中で、ずっと鳴り響いていたけど、テレビは消せなかった。
単純に記憶がなくなる前の自分を知りたかった。それを見てれば、あの写真の笑顔の自分を思い出すような気がしたんだ。
思い出したくないと思ってた。その方がきっと幸せだと思ってたから。
ここにいればオレは幸せだと。
でも、思い出さなきゃ駄目だ。と思うオレもいて、いつも考えてた。
時々自分で抑えつけることができなくなって、暴れてしまうことがあったけど、決まって皆が呼び戻してくれた。
オレが苦しくて泣くと真っ先に瞬が泣く。
オレの体に張り付いてオレ以上に泣く。
瞬が心配になって、自然に泣くのを止める。
こんな気持ちになるのも嬉しかった。
「すっかり日向もお兄ちゃんだな」
と、正親兄ちゃんが言う。
嬉しさが心をいっぱいにする。

あと、ゴンちゃんが言っていた学校に行く準備ができた。でもあと一ヶ月で新学期だからと、四月から小学校に通うことが決まった。
茜と大毅と同じ一年生からになった。
早く四月にならないかなっと三人でいつも同じことを言い合ってた。
日に日に向日葵の中でも準備がされていく。
朱里姉ちゃんたちが、学校で使う物をミシンで作ってくれる。
三人でウキウキしながら見ていた。

生活は楽しかった。
でも、生活を普通の送ろうとすればするほど、頭の中で声はする。
《あんたなんて、いらない》
《あんたなんて産むんじゃなかった》
《あんたのせいで私の人生滅茶苦茶なんだから》

《日向、あんたってなんなの?》

きっとどれも母親だと今は思う。
今はその言葉と一緒に映像も浮かんでる。
どの母親も冷たく温かさはない。
どうしてそんな目でオレの見るのか、記憶のなくす前のオレはどんな子供だったんだろう。
向日葵では、頭の中の母親の目でオレを見る人はいない。
記憶をなくす前のオレはそんな目でみられるような子供だったんだろうか。
自分のことだけは、まだ思い出せない。


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