楓の樹の下で
いつもと同じ朝だった。
いや、いつもと同じ朝になるはずだった。
朱里が血相を変え、俺と佐々木さんを呼びに来るまでは…。

事務所で、たわいない話を佐々木さんとしながら笑っていたら、朱里が急いで事務所のドアを開けた。
大きな音に驚いて佐々木さんと同時に朱里を見た。
「朱里?どうしたの?びっくりするじゃんか。」
「そうだよ。俺心臓止まっちゃう」
佐々木さんが胸に手をあておどけて笑いながら言うと、少し怒った朱里が
「冗談言ってる場合じゃないんです!日向が…日向くんが…。」
そこまで言って乱れてる息を整える。
「日向がどうした?」
ただごとじゃないとリビングに向かいながら朱里に聞く。
「記憶が戻ったみたいなんです!」
「えっ!?」
佐々木さんと声が重なる。

リビングに行くと朱里が言う通り少し雰囲気の違う日向がぽつんと立っていた。
表情には不安というより、何故ここに?という疑問の方が勝ってるような気がした。

「ここが何処だかわかるかい?」
佐々木さんが聞いた。
日向はわからないと横に首を振る。
「よし、日向くんちょっと着替えておいで。朱里ちゃん、お願い出来るかな?俺は車を回してくるから、正親、お前は華と、茜と大毅に簡単でいいから説明してくれ。朱里ちゃん、俺と正親で病院に行ってくる。今日は華と茜、大毅に説明するから手伝ってもらって。」
「わかりました。」
朱里は日向を連れ部屋に服を取りに行く。
俺は大毅を起こし、続いて華と茜を起こしに行った。
三人に今起きていることを説明する。
華は一番年上であり、面倒見がいい分理解力もあり、俺が言うことをすぐさま察した。
「わかった。私たちで朱里ちゃんをお手伝いします。今日が日曜でよかったぁ。」
そう言って華が笑った。
本当に日曜でよかったと思った。
着替えた日向が朱里に連れられリビングへと出てきた。
「病院に行くこと簡単に説明しといたから。」
と、朱里が言うと同時に表で車の音がした。
玄関に向かう途中眠たい目をこすりながら瞬が出てきて日向を見つけた。
やばいっ!と、思った。
日向のことが大好きな瞬はいつも日向に張り付いて、日向が向日葵に来てから、どこに行くにもなにをするのも一緒だった。
瞬の大きな瞳が日向を捉える。
来る!!と、思った。
瞬間ビクッと体を強張らせ茜の後ろに隠れた。
えっどうして…と思ったが、玄関の扉が開き佐々木さんが戻ってきた。
考えは途中で途切れた。
「用意できた?じゃ行こうか。」
「はい。」
日向は自ら棚に行きスリッパを脱ぐとそれを置き、迷わず靴をとり履いた。
俺も朱里も佐々木さんも驚いた。
ここでのことの覚えてる事もあるんだろうと、思った。

病院への道のり俺が運転をし、佐々木さんが今までの向日葵での生活や、どうして向日葵にくることになったなど簡単に説明した。
日向は驚くことも、泣くこともせず淡々と聞いて最後にわかりました。と答えた。
バックミラー越しに佐々木さんと目が合った。
佐々木さんも俺と同じ気持ちだと思った。

この子は本当にあの日向なのだろうか…と。

病院に着くと先生たちによる問診が繰り返された。
今、日向は一時的な混乱をしていると。
一時的な混乱で片付けるには、俺や佐々木さんの今までの経験が納得していなかった。
帰る準備をしていると日向がお母さんのことで思い出したと言ってきた。
戸惑う俺たちに言葉を続ける。

「話がしたいので、警察に連れて行ってください。」

記憶が戻ったのがつい数時間前でその後母親は殺され死んでいて、自分も捨てられていた事件を聞いたばかりの子供では、到底思えなかった。
佐々木さんは青木さんに連絡を取り、そのまま警察署へと向かう。
青木さんに話す姿は、もはや俺には恐怖すら感じた。
この子は日向じゃない。正直そう思った。
準備してたような、その証言はスラスラと口から出されていく。
子供がこんな慣れない場所で淡々と話す姿は俺には違和感しかなかった。

警察でのやり取りを終え向日葵に帰ってきた。
子供が走って玄関に集まる。
瞬が迷わず日向に張り付く。
あれ…朝のはなんだったんだろうと思う。
子供と一緒に話す日向を見てると、いつもの日向だと思った。
俺は何を思っていたんだと、自己嫌悪になる。
この状況に一番戸惑っていたのは日向本人だ。
その置かれてる状況を必死に理解しようとしていたから、あの違和感があったのではないかと思った。

それから二週間が経ち容疑者が確保されたと青木さんから連絡が入った。
そのことを日向に伝えると、大丈夫。心配しないで。と明るく振る舞う日向を見て、やっぱりあれは俺の思い込みだと反省した。

それから一週間テレビでは事件が、あの時の様に、また派手に取り上げられた。
見ない方がいいと止めたが日向は自分のことちゃんと知りたいから。と俺たちの言葉を聞かなかった。

一週間経って証拠不十分により釈放されたと最後のニュースが流れた。
日向の気持ちを思うと心が苦しくなった。
心配いらないと、声をかけるつもりでそばへ行こうとした。
その時だった。
日向の口元がニヤリと歪んだ。
その後、チッと小さな舌打ちをした。
それは見間違いじゃないかと思う程、異様な光景で信じられないでいた。
俺の目線に気付いた日向が駆け寄ってくる。
俺の足元に抱きつき泣いた。

ゾッとした。
背筋がゾッとするっていうのはこれのことだ!と、思う。

この子はやっぱり、あの日向ではないと…あの時の違和感は確実に形を作り目の前にいる。

俺の不自然さに気付いた朱里が呼びかける。
我に返って小さく息を整えて日向に話しかける。
俺が気付いたことを、気付かれてはいけない。
この違和感を確信に変えるまでは…。

「大丈夫か日向?どんなことあっても俺たちも向日葵のみんなも味方だからな!」
「うん、ありがとう。正親兄ちゃん。」
涙を拭いながら笑ってみせる日向を気のせいだとは、もう、思えなかった。


< 19 / 34 >

この作品をシェア

pagetop