叶う。 Chapter1
「お帰りなさいアンナ。さぁ入って。」
いつもと同じ先生の顔を見ると、私は急速に夢から覚めたような気分になった。
先生に連れられて、いつもと同じ教室に入る。
「昨日はちゃんと練習した?」
鞄から楽譜を出していると、不意に先生にそう声をかけられた。
私は昨日熱を出していた事を思い出した。
「昨日、熱があって。練習出来ませんでした。」
私は素直にそう言って、楽譜を持って先生の隣に置かれたピアノの前に座る。
「そうなの?体調管理は、きちんとしなさい。もう日にちは余り無いのよ。」
先生はそう言ったけれど、何だか声音は優しかったので安心した。
いつもの先生なら、練習をしなかったと言ったら色々と怒られるのが当たり前だったので、ちょっと拍子抜けしてしまいそうだった。
いつもの様に、ピアノの前に座る。
浅く呼吸をしながら、もうすっかり弾き慣れた楽譜をもう一度見直してから、ゆっくりと鍵盤に手を乗せる。
ベートーヴェンが恋人を想い作ったとされるその曲を、頭に思い浮かべ、私はふと和也の優しい瞳の色を思い出した。
なんとなく、和也に聴いて欲しいと思った。
ゆっくりと、そのメロディを奏でる。