オレンジロード~商店街恋愛録~
神尾は『喫茶エデン』のカウンター内でカップを洗いながら、自分の趣味で流している古いジャズの曲に耳を傾ける。
父が急死したのを機に、エリート銀行員という職を捨て、この店を継いで4年。
今のところ、特に何の不満もない。
そもそも、銀行員だった頃は、高い給料と引き換えに、毎月、厳しいノルマを課せられ、日々、残業が当たり前で、心を削って生きていた。
しかし、今は、好きな曲を聴きながら美味しいコーヒーを飲み、たまに客との雑談に興じる毎日だ。
稼ぎは少なくなったが、そんな、安穏としていられる幸せを、神尾はこの上なく思っている。
何より、父の代から愛されているこの『喫茶エデン』を、自分が守りたいと、使命感にも似たものを感じるまでになった。
「ちーっす」
ドアベルが鳴ったのと共に、浩太が顔を覗かせた。
浩太は近所に住んでいるため昔から顔見知りで、今は商店街の中にある居酒屋『えびす』でバイトをしている22歳。
目つきが悪くてあまり喋らず、たまに口を開いても愛想のひとつも言わないが、悪い子ではないことは知っている。
「まだオープン前だったか?」
「いえ、もう開けようと思っていたところでしたし。座ってください。いつものようにモーニングでいいですか?」
浩太はあくびをしながらうなづき、カウンター席に腰を下ろした。
「昨日も閉店までバイトだったんでしょう? もう少し寝てればいいのに」
「うるせぇなぁ。俺の勝手だろ」
どんなに悪態をつかれても、35歳の神尾から見れば、それすら、若さだなぁ、としか思えない。
それより逆に、そんなにまわりに対して敵意を剥き出しにしていて疲れないのか、友達が減ったらどうするんだ、と、保護者のような心配さえしてしまう始末。