第1巻 Sicario ~哀しみに囚われた殺人鬼達~
side:????
僕の目の前に肥太った豚がいる。あぁ、これでは例えてしまった豚が可哀想だ。ゴミ...屑で十分かな。うん、其れが丁度良い。
屑は僕に懇願している。
“助けてくれ”“見捨てないで”
“何だってする”“金を払う”
“被験者を提供する”
“殺さないでくれ”“死にたくない”
屑は脂身の乗った顔を濡らしている。良心が痛む?いいや、僕にそんな大層なものは無い。屑は飽きもせず、僕に縋り付く。このまま黙っていても事は進まないだろう。
屑だからもう駄目な事も解らないのだろう。至極残念なお頭(つむ)だ。脳味噌が可哀想だ。実験する価値すらない。
屑を見下して僕は言う。


「貴方は“まだ”気付かないのか?」


屑は黙った。間抜けな顔で僕を見上げている。
僕を見つめないで欲しいな。皮膚が爛れる。


「気付かないのか、と聞いている。」

「な、何を...」


呆れて溜息を吐いた。


「この状況で救われると思っているのか?おめでたい頭だな。
いいや、腐れ頭ッ!貴方は捨て駒なんだよ!!
僕に出会った瞬間、僕を視界に入れた瞬間、其の時から貴方は此処で死ぬ事を運命付られていたんだ!!貴族は扱いやすくて笑えるよ。」


屑の表情に怒りが宿る。僕を殺したいと心から思っているのだろう。
縋り付いている手が今にも僕の首へ飛んで来そうだ。だが、この意気地無しは今でも戸惑っている。
阿呆らしい...殺るならさっさとすれば良いのに...。

余りに時間が掛かるものだから、僕から先に手が出てしまった。両手の親指を屑の両目に捻じ込むだけの簡単な事さ。
眼球の水分が指に纏わり付く。グチョっと潰した眼球の感触は気持ち悪いけど、其れが興奮を呼ぶ。
大丈夫、僕は変態ではない。
眼孔を乱雑に掻き乱す。血が滴る。屑の叫び声が耳を這う。
反応がちょっと楽しかったから、暫く弄っていたけど矢張り飽きが来た。指を抜き取って屑を突き放す。
まるで殺虫剤をかけられた虫だ。

近くにあるカーテンに歩み寄り、そっと手で撫でる。
上質な布だ。と、思ったと同時に“よく燃えそうだ”とも思った。
ポケットを探る。幸運な事にライターを見つけた。
ライターに火を点し、カーテンに近付ける。予想通り火は勢い良く燃え広がった。
屑は気付いていない。其の屑の横を通り過ぎて部屋から出た。
駆け足で其の場を離れる。
しっかりと扉を締める。礼儀でしょう。

屋敷は静かだ。誰も居ない。これが貴族の屋敷か。
コートのポケットに手を突っ込んで、早足であの部屋から遠ざかる。
突然複数の足音が聞こえてきた。思わず立ち止まる。無闇に動くべきではないと判断したからだ。理由?何となくだよ。
曲がり角の陰に隠れて音の方へ目をやる。
隠れて辺りを見回していると、数十m先の廊下を駆けて行った。
女、子供...其れを率いている男。
男には見覚えがある。恐らく中身の方はよく知っている。
とてもよく知っている。
彼等は僕に気付く事無く去って行った。
元気そうでなによりだ。
無意識にそう思った。何故だろう。
“彼を殺した”のは、いや、殺す様に仕組んだのは、僕自身なのに... 。

何だか可笑しくって、笑いが込み上げてきた。耐え切れなくなって吹き出した直後、爆発音が聞こえた。
きっとあの部屋からだ。





side:ギフト
落し物を目の前にして最初に思った事は、


「これは、これは...」


この1つだけだった。
無残な姿の落し物、モガルに目を落とした。
今はあれこれ考えている暇は無い。先程爆発音が聞こえた。如何して、と考える前に今は早く屋敷を出る事を優先しよう。
モガルを背負って走った。

出口に近付いて来た時、ふと視界の端に人が映った。青年...いや、少年に見えなくも無い。
取り敢えず少年としておこう。
彼は場違いとも言える笑い声を高らかに響かせている。何処かで見た気がする。
靄がかかって思い出せない。思い出せないのなら如何でも良い事なのだろう。
僕は彼を無視して先へ進んだ。

屋敷の外に出て、迷路の様に入り組んだら通路に入る。
適当に足を進めていると行き止まりに当たった。高い建物に囲まれていて薄暗い。
此処だけ朝方で時間が止まっているようだ。
背負っていたモガルを其処に寝かせる。
頭がクラクラする。何時の間にか傷が開いていたのだろう。
この分だとかなり血が流れていそうだ。ディーブにナタリア、もしかしたら白ちゃんと黒虎兄さんにもどやされそうだ。
寝たきりの日々が始まるな...。
モガルのポケットを探る。端末を見付けた。うん、まぁ予想してた。
幸いロックは掛かっていなかった。ホーム画面は初期設定のままで、アプリも同様だった。見えていないのだから当たり前かな。
電話帳を開き新規登録を押す。僕の電話番号を入力して登録を完了させる。
元あった場所に端末を仕舞うと、フラフラと覚束無い足取りで『九尾の道楽』へ向かった。





side:????
あれから暫く笑いが止まらなかったから、如何しようかと思ったけど、何とか笑いは止まってくれた。
其の頃にはかなり火の手が回っていたから、もう少し遅れていれば僕は丸焼けだったよ。

今は、お気に入りの部屋の中にいる。ちゃんと逃げ出せた訳だよ。僕は運が良いからね。
さて僕はお気に入りの部屋にいる訳だ。“愛している”ってのが、しっくり来るかもしれない。
まぁ、そんな部屋の椅子に僕は腰を掛けているんだ。


「聞いてくれよ。今日は君のお兄さんに会ったんだ。
会ったと言っても唯僕が見掛けただけなんだけどね。」


返事はおろか、挙動の1つも無い。


「今の君に出会ったら、お兄さんはどんな顔をすると思うかい?
会わせる予定は無いよ。もしもの話さ。」


漂う髪が彼女の顔を隠した。


「おや?恥ずかしいの?全く君は可愛いな。」


僕は微笑みむ。


「ねぇ、〝アリア〟」


彼女は水槽の中で漂うばかりだ。
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