花の下に死す
 ・・・璋子の出家後、後ろ盾をなくした崇徳天皇は間もなくして、皇太子体仁(なりひと)に譲位した。


 近衛天皇(このえてんのう)の誕生である。


 わずか二歳で即位したため、当然ながら政務は執れず、鳥羽院の院政が続いた。


 藤原得子も必死で幼い天皇を支えたものの近衛帝は病弱で、わずか17歳で崩御。


 その若すぎる死が、保元・平治の乱という、天皇の後継者争いに起因する世の乱れにつながることとなる。
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