花の下に死す
一、北面武士
保延(ほうえん)3年(1137年)。
京都、鳥羽院の御所。
佐藤義清、二十歳。
当時は崇徳天皇(すとくてんのう)の治世であったが、政治の実権は父である鳥羽上皇(とばじょうこう)が握り続けており、「院政」を敷いていた。
義清はその鳥羽院(上皇)の御所周囲を警護する、「北面武士」として仕えていた。
上皇の身辺を警護したり、行幸の際に同行したり、上皇に強訴してくる寺社勢力から護衛したり・・・。
ある春の日だった。
義清たち北面の武士一団が、鳥羽院の中宮(正妃)である待賢門院(たいけんもんいん)の邸宅の警護を命じられた。
「女どもの相手なんて、かったるいな」
義清の同僚である平清盛(たいらのきよもり)がぼやいていた。
義清と清盛は同じ北面武士として勤務していたゆえ、顔を合わせる機会が多かった。
年の頃は同じくらい。
豪快でいかにも武士といった印象の清盛と、武士とはいえ貴公子風な雰囲気を漂わせている義清。
性格も正反対であったが、意気投合し非常に仲がよかった。
京都、鳥羽院の御所。
佐藤義清、二十歳。
当時は崇徳天皇(すとくてんのう)の治世であったが、政治の実権は父である鳥羽上皇(とばじょうこう)が握り続けており、「院政」を敷いていた。
義清はその鳥羽院(上皇)の御所周囲を警護する、「北面武士」として仕えていた。
上皇の身辺を警護したり、行幸の際に同行したり、上皇に強訴してくる寺社勢力から護衛したり・・・。
ある春の日だった。
義清たち北面の武士一団が、鳥羽院の中宮(正妃)である待賢門院(たいけんもんいん)の邸宅の警護を命じられた。
「女どもの相手なんて、かったるいな」
義清の同僚である平清盛(たいらのきよもり)がぼやいていた。
義清と清盛は同じ北面武士として勤務していたゆえ、顔を合わせる機会が多かった。
年の頃は同じくらい。
豪快でいかにも武士といった印象の清盛と、武士とはいえ貴公子風な雰囲気を漂わせている義清。
性格も正反対であったが、意気投合し非常に仲がよかった。