花の下に死す
 「では……」


 義清が完全に璋子の寝室に入ったのを見届けて、堀河は戸を閉めた。


 戸を閉めて、義清と完全に隔てられたのを確認した瞬間、堀河の胸に計り知れない空しさが去来したのを義清は知らない。


 その義清は……。


 (この帳の向こうに、待賢門院さまがいらっしゃる)


 璋子を目の前にして、胸の高鳴りを抑えられなかった。


 いつか読んで憧れていた『源氏物語』の一場面のように、懸想する高貴な女性の元へ間もなくたどり着けるというときめきは、思っていたよりはるかに緊張を伴うものだった。


 ついに帳に手を伸ばし、めくり上げようとした時。


 ガタン!


 うっかり力を込めすぎて、帳を支える柱が倒れてしまった。


 さほど太いものではないので、辺りに響き渡るほどではなかったが、璋子を夢の世界から引き戻すには十分だった。


 「誰……?」


 目を覚まして上体を起こすと、目の前に人影があるのに璋子は気がついた。


 人の出入りの多い屋敷。


 周囲に常に女房たちが行き来している環境に慣れている璋子は、寝室に人の気配があっても特に慌てる様子はない。


 しかし……そこにいるのは、男。


 「……院?」


 璋子はここに出入りすることが許される、唯一の男の名を呼んだ。


 鳥羽院の名を。


 渡りが絶えて久しい鳥羽院の影を思い起こしていた。
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