恋するキオク
ゆっくりと立体交差点を曲がり、大通りを抜けて広い台地に出る。
突き当たる道路を右に左に進むと、正面には茶色く広がる建物が見えてきて。
オレは思わず、目を見開いた。
「聖音…」
国立聖相音楽大学。
音楽をやってるオレにとっては、憧れの場所。
それでも肩を壊してるオレの腕では、どんなに練習したって入れるわけもないことはわかり切ってて。
そんな所に、一体何の用事が。
祖父ちゃんの後をついて門をくぐる。
玄関の近くまで行くと、一人の女の人がオレたちを迎え入れてくれた。
そのまま中に通され、しばらく行くと祖父ちゃんだけはどこかへ行ってしまったけど、オレはその女の人にある部屋へと連れて行かれたんだ。
そしてそこには、ピアノが一台。
「あの…何をするんですか」
オレが戸惑ってると、その人は言った。
「これを弾いてもらえる?」
手渡された楽譜は初めて見るもの。
でも、オレはその曲を知っていた。
「これ…」
ずっと昔に、実の父親が残してくれたものだと渡されたCD。
それに入っていた一曲だ。
楽譜なんて当然なかったけど、耳で覚えてたから弾くことはできた。
ただ…
一番苦手な曲だった。
力を込める部分が中盤で長く続いて、最後の方には優しく弾くことにさえ体力を消耗する。
肩には一番負担だったんだ。
これは何かの試験か?
それならもっと得意な曲を弾かせてほしいのに。
オレはいくつも疑問を抱いたまま、鍵盤に指を下ろした。
しばらく弾いていなかった曲。
幼い頃の記憶がよみがえる。
淋しくて、ずっとピアノにばかり思いをぶつけていたこと。
本当の親のことは知らなくて、何度も繰り返しCDを回していたこと。
オレと省吾は似てるから、ひょっとしたら親が違うっていうのは嘘なんじゃないかって…そう期待したこと。
力を入れるたびに悲しさが戻ってくる。
表面だけの言葉、その場だけの笑顔。
本当に欲しいものは、いつだって手に入らなかった。