君をひたすら傷つけて

楽しい…ただそれだけ

 急いでいたから少し息は切れていた。でも、店を入ってすぐに私に注がれる視線は感じた。こんな優しい視線はお兄ちゃんしかいない。店に入ってきた私にお兄ちゃんは少し手を上げて微笑む。お兄ちゃんを見ながら私は身体からフッと力が抜ける。アシスタントとはいえ、さっきまでいたのは仕事の場で肩に力が入っていた。

 お兄ちゃんの存在は私を高校生のあの頃に一気に引き戻す。

「雅。仕事お疲れ様。疲れただろ」

 私を呼ぶ声に籠る優しさは変わってない。

 少し音量を落とした掠れた声に目を閉じるとあの頃に戻った気がする。久しぶりに会うお兄ちゃんは前に会った時よりもずっと堂々としていて落ち着いているし、静かにグラスを傾ける姿も前と同じな様で同じではない。二年という時間はお兄ちゃんを魅力的な男の人に変えていた。

 あの時も社会人として働いていたから大人に見えた。でも、今は…あの時とは違う。

 フランスに来てからの毎日は語学学校から緩やかに始まったけど、リズのアシスタントをしだしてから時間が流れるのが早くなった。でも、私自身は殆ど変ってない。

 でも、お兄ちゃんは違う。少し目を細めて柔らかく微笑むのは変わらない。でも、何かが違う。

 違和感を覚えながらも足の爪先から、頭の天辺までお兄ちゃんに会えて嬉しいという気持ちが包んでいた。
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