君をひたすら傷つけて
「そろそろ帰ろうか?」

 いつもなら店を出たら、すぐにタクシーを拾ってアパルトマンまで送ってくれるのに、今日は少しだけ違う。アルベールは私の左手を握り歩き出すと、タクシー乗り場を通り過ぎ暗くなった店の壁に私を立たせた。

 月の光を背に受けたアルベールの細くしなやかな髪には月が涼やかな光の欠片を落とす。幻想的な世界から出てきたかのようにアルベールの顔が照らされている。

 なんて綺麗なんだろうと綺麗さに見とれてしまう私がいた。

 アルベールは握っていた左手をスッと引き上げ、そのまま口元に手を持っていき、薬指にそっと唇を落とす。左手の薬指にふわっとした温もりと感じると胸がキュッとなって苦しくなってしまった。どれだけの思いで私のことを思ってくれているのだろう。

 心の中は見えないけど、その思いを感じる。感じない方がおかしい。

「雅が好きだよ。本当に大事なんだ」

 囁かれた声の甘さは抱きしめられた腕の中で聞き、そっと引かれた手に抗うことなく私の身体はアルベールに包まれる。少し痛いくらいの力が私の身体を包んでいた。私もそっと背中に自分の腕を回すと、甘えるようにアルベールの胸に頬を寄せた。

「私も好き。私も大事に思っている」

 その言葉に答えは無かったけど、少し強い腕の力を感じた。

 腕の力が緩まると綺麗なアルベールの顔が近づいてきたので、私も自然と目を閉じた。一度優しく唇が触れてから何度も唇を重ねていく。唇の熱さは胸にも小さな灯を点し、身体は熱くなっていく。

 自分の中に起こる変化に戸惑う私はそれに気付かないふりをした。
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