あなたと恋の始め方①
 畳込まれるように言葉を紡ぐ高見主任は折戸さんと違う立場で私をフランスにと言ってくれている。今の静岡研究所での自分の仕事に満足もしていたから考えたこともなかった。


「辞令が下りたわけでもないので、下りてから考えます。それに私よりももっと優秀な研究員はたくさんいますから」


『そうだね』って言ってくれると思っていた。『それから考えても遅くないよ』って言って貰えると思っていた。でも、高見主任はそんな言葉は言わず頷きもしなかった。それどころかもっと厳しい現実も突き付けてくる。穏やかな和食のお店で、懐かしさに包まれ、穏やかな気持ちで食事をしていたのに、どうも話が違ってきている。


「下りてからなら断れないよ。今は打診だけど、そのうち本格的に留学の話が来る」


 高見主任の言葉に嘘はない。信用している高見主任の言葉を私は受け止めるしかなかった。それにしても東京北研究所から本社営業一課に行って、それから、静岡研究所に来て、その上、フランス研究所。ずっと動かなかったような私の人生は急激に動き過ぎている。


 もしも、小林さんのことが無かったら私はこの場で『お願いします』と言ったと思う。海外との交換留学の意味は私でも分かっている。自分の研究員としてのキャリアを考えるとフランスに行く方がきっといい研究員になれると思う。


「私に考える時間はどのくらいありますか?」


「長くて二週間だね。そうじゃないと止めてあげられない。」

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