タイガーハート
鼻をつく、お酒の臭い。
『とらっ!とらっ!』
目を開けると、母親の笑顔。
『ラーメン食べよっかぁ!』
ヒソヒソ声で囁き、ニコッと笑った。
当時、母親は水商売をしていて、帰ってくるのは深夜から朝方だった。
けれど、母親と食べる深夜のラーメンが何よりの楽しみだった。
ラーメンが好きだったわけではない。
母親と過ごせる、母親を独り占めできる、唯一の時間だったからだ。
いつも通りラーメンをすする。
『ねぇ、とら?』
母親が笑顔のまま口を開いた。
『もしさ、お父さんが他の人に変わったりしたら、やだ?』
「…いやだ…」
何でそんなこと言うんだよ。
俺は素直にそう思っていた。
子供であった俺にとっては、両親が全てだった。
どんな親であっても、
両親だけが俺の絶対的なものだった。
『だよねえ!』
かすれた声で母親が笑う。
あの頃はわからなかったが、あの時の母親の笑顔は
今にも泣き出しそうだった。
それからしばらくして、
母親は消えた。
俺と父親の二人を残して。