甘やかな螺旋のゆりかご


兄とわたしを産んだ母親は、それなりに最低だった、


と記憶は言う。


悪魔だとも、因みに父方の、父以外の身内は言っていた。障子一枚隔てた向こう側で誰かの葬儀の夜に非難していた。あれは、今の義母が父と再婚する一年前くらいのこと。父が今の義母とのことを親戚一同に報告した流れの会話だったと思う。


集まった身内の中で子どもは兄とわたししかおらず、障子一枚隔てたこちら側に押し込められ、もうすっかり寝付いていると思ったのだろう。そんなわけあるか。お酒を呑んで大きくなった声が兄とわたしは苦手で、寝るどころではなかったのだ。






母親だった人。


その視線が恐ろしかった――殆ど口を開くことのなかった、酔った際の金切りな声しか記憶にないのは、わたしたちと会話の意思はなかったんだろう――ただただ視界に入ってしまったから映しているのだというそれ。


母親なんかになりたくなかったんだろう。父と、ただ一緒になりたかっただけ?  ……にしては、記憶の片隅に、自宅ベットで他の男と睦み合う光景が僅かにあるけれど。未就学児に何を目撃させるのかと、大きくなってから理解した行為に一度だけ嘔吐した。


育児も秘密裏に放棄されていたと思う。それはそれは内密に。周囲に悟られないように。


それはそれで助かった部分もある。完全放棄に完全監禁だったなら死んでいた、かもしれない。


世間様に怪しまれないのがモットー。行政や病院、御近所親類に言い訳出来る程度には、施されていた生活。それさえ乗り越えたら、要領の悪い、子どもの教育が下手な母親であり妻と呼ばれるのは構わなかったみたいだ。記憶にあるのは、幼稚園の先生に頭を下げた直後、せせら笑っていた飄々とした表情。


こんな人だったとしても、母親に対する愛着がわかなかったわたしは、これまたおかしなものかもしれないけれど。


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