甘やかな螺旋のゆりかご


幼かったわたしに詳細な記憶があるわけじゃない。知りたくて、その抱えているものを少しでも軽くしたくて、共有したくて、いつか兄から話してもらったものたちも多い。躊躇う兄から、半ば強引に吐かせたのだけれど、それでいいと思っている。


わたしを妊娠中、しきりにお腹を拳で叩いてみたり、わざと、平坦な場所で躓いてみたりしていた母親だった人――邪気なく兄が訊ねる。何故そんなふうに転ぶのかと。すると、母親だった人は激昂して兄を突き飛ばしたらしい。一度だけ、母親だった人が周囲から疑いの目を向けられたときのこと。このとき、小さな兄の心に、わたしを守らねばという気持ちが芽生えたのだという。


父が出張で帰らない日に山積みされた駄菓子は、兄と二人きりの夜の食料。母親が家にいる三人のときも、部屋で、母親の朝食の残飯から作られたおにぎりだけを兄と分け合い一日を過ごす。カーテンや窓は決して開けてはいけないという躾。あとは無いものとして扱われる。けれど兄が抱き締めてくれれば過ごせた。そういえば、一年先に幼稚園に通い始めた兄がいない時期の記憶が、わたしにはない。それなりの恐怖だった?


トイレの必要を省くためだったのか……わたしたちは、世間一般よりも長くオムツを手放せなかった。許容力以上に膨らんだオムツの処理は嫌々するのに、トイレトレーニングは何故面倒だったのだろう。世間体で入れてもらえた幼稚園、先生から教えてもらえ、それは成功した。わたしは、兄も拙く導いてくれたから、兄より楽だったのが今でも申し訳なく感じている。兄がオムツの処理をしてくれもした。


幼稚園は、からかわれようとなんだろうと安住の地だった。人と触れ合え学べて、美味しい給食も出たから。兄と離れるのは嫌だったけれど、母親だった人がいない場所。


トイレだけじゃなく。とりあえず、人間を学んでいくのが、わたしたちは多分他よりも遅く、そして、先に産まれた兄はわたしよりもずいぶん苦労をしたと思う。兄はわたしを出来ないことからも守ろうとしれくれていた。拙く、未完成に。言葉も、そういえば昔は語彙の少ないわたしたちだった。


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