甘やかな螺旋のゆりかご
今でこそ家族を細やかに大切にしてくれる父は、当時は出張の多い忙しい職業で、家族を愛してくれてはいたのだろうけれど、何にも気付かない人だった。深夜から早朝にかけてしか家にいなかった父は、母親だった人から子どもたちは寝ていると言われればそれを信じ、恐怖でどうにも動けなかった兄とわたしは、母親だった人から躾られた通りに眠ったふりをすることしかしなかった。ぴたりと寄り添い眠る兄とわたしの光景は、微笑ましいものとしてしか見えていなかったみたいだ。
そういう生活も、幸いなことに終わりがやってくる。
……幸いなことの前には、苦しみが勿論あったのだけれど。けれど兄は良かったと言う。きっかけになったのなら、と。
兄は……きっと、わたしや自身を守るのに限界を感じ、辛いことから目を背けたくなったのだ。小学二年生の頃から始まりしばらく、兄は、眠ったまま目覚めにくいことが頻発するようになった。睡眠時間が平均より長い、よく眠る子ども、では言い訳出来ないくらいの。様々な医療機関にかかり、催眠術めいた心療内科での治療もしたと思う。
断編的に耳に入ったことを纏めると、そこらへんから兄とわたしへの母親の仕打ちを周囲が知る。
加えて、子どもたち用の保険の勝手な解約、進学用の貯蓄がゼロになっていたり、母親だった人が世話をしていた愛人の存在複数、その他諸々も呆れるほどに露呈したことで、父と母親だった人はやっとお別れの形をとった。
わたしは喜んだ。母親だった人には何の執着もわかず、恐怖から逃れられたことしかなく。もう二度と、目覚めないかもしれない兄の手を握って涙することはなくなるのだと。
後にこそ良かったと言った兄は、自分が原因で離婚をさせてしまったと、どうにも間違いな罪悪感を抱いたまま、病院のベットの上で泣いていた。