甘やかな螺旋のゆりかご


父は、転職したのか家にいる時間が長くなった。それでも足りないわたしたちの世話は、離れて暮らしていた祖母が 、こちらに頻繁に通ってくれるようになる。わたしの小学校入学式の写真には、そういった事情の様子が顔ぶれとして記録されている。


写真の中の兄は、やっと頬がふっくらしてきたわたしとは対照的に、無邪気に笑えないといった、あの頃、親の離婚によって得たぎこちない安穏に浸れていないデフォルトの表情だった。眠ったまま目覚めにくい症状も、若干残っていた。


母親だと、幼心で露ほども感じられなかったのが幸いだったのかもしれない。母親だと、絶対的な存在と認識してしまっていたら、もっとわたしの闇も根深かったんだろう。家族は大切だけれど、わたしは、血とか、繋がりみたいなものを、わりと希薄に捉えている。それで良かった。トラウマなんぞまっぴらだ。


口角が上がる人相になってきたわたしは、そうしてやっと兄の心配だけをする。以前もしてはいたけれど、一緒に生存力を失わないようにすることのほうが切実だったから。支え合うのが精一杯だった。


――「おにいちゃんだいじょうぶ?」「もうねちゃったの?」「おきておきて」「ごはんのじかんだよ」「おにいちゃんがいてくれないといやだよぉ……」――目覚めにくい兄が眠るベッドの傍らで、父や祖母よりも多くの時間を過ごし泣いてばかりいたわたしを夢うつつで理解したからなのか、やがて兄は、睡眠時間を普通に戻していくようになった。


兄がわたしにとって一番になるのは必然だ。そうやって、支え合って生きてきたのだから。兄がいなければわたしはいなかっただろうし、兄だってそうだと言ってくれた。依存もあるのだとは思う。そうでもしなければ乗り越えられなかった。


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