元教え子は現上司
 作業に集中していた碧はふと顔を上げた。パソコンの右下に表示されている時刻を見る。
 二人が出て行ってから二時間ほど経っていた。フロアの出入り口を振り返るけど、帰ってくる様子はない。

 ちょっと休憩しよう。そう思って立ち上がった。

 給湯室でマグカップを洗っていると、
「あの、すみません」
 後ろから声をかけられた。振り返ると、ためらいがちに目を伏せた小柄な女の子が立っていた。

 さくらんぼちゃん。

 咄嗟にそうおもった。入社初日、暁のことを話していた中にいた女の子だった。顔を真っ赤にしてる様子がさくらんぼのように可愛かったから、かってにそう名付けていた。

 さくらんぼちゃんは、碧の手元にあるマグカップ辺りに視線をやったまま尋ねた。
「あの、ちょっとお聞きしたいんですけど」
 消え入りそうな声。ふいに昔を思い出す。塾講師をしていたときも、教師をしていたときも、生徒が先生に相談しようという空気はわかる。それがとても勇気のいることだということも。

 碧はおもわず半歩近寄って、小柄な彼女と目線を合わせるようにかがみこんだ。
「なんですか?」
 できるだけ優しい声で言う。さくらんぼちゃんがおずおずと視線をこちらに向ける。
「突然すみません」
 狭い給湯室、他に誰がいるわけでもないのに彼女はすばやく周囲を見る。
「久松さん、ユナさんと仲良いですよね」
 予想外の質問に、まばたきする。ユナと仲が良いかと聞かれれば、悪くはないが、どうなんだろう。
「彼女がどうしたの?」
 さくらんぼちゃんは、思い切って、という表情で尋ねた。

「ユナさんて、遠野さんと付き合ってるんですか?」

「え?」
 パキンと固まる。さくらんぼちゃんは、一番聞きにくいことを口に出して腹が据わったのか、丸まっていた背をすっと伸ばして尋ねた。
「あの二人いつも一緒にいるじゃないですか。ユナさんすごい美人だし、かわいいし。やっぱり遠野さんもああいう人がいいのかなって」
 ふいにさっきの光景を思い出す。投げた資料。受け止めるユナと、二人の交わした笑顔。 

 暁が? ユナと?
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