元教え子は現上司
衝突
 やっぱり私は経歴を活かした就職なんて考えず、スーパーのレジ打ちとかクリーニング屋に就職すればよかったんだ。

 怒涛のように後悔の念が襲ってきても遅かった。石のように固まる碧の脇を、女性スタッフが二人談笑しながら通り過ぎる。

「久松さん?」
 声をかけられ、のろのろと視線を動かす。眉をひそめた暁がこちらを見ていた。

 あぁなんてこと。
 絶望的な気もちになる。

 隣には元彼。
 正面には――。

「おどろいたよ」
 小川が碧を見たまま微笑んでいた。笑うとめがね越しに糸のように細まる目。あぁ本当に小川だ、とおもって背中がつめたくなる。

「受付から名前を聞いたときはまさかとおもったんだけど、やっぱり君だったんだね」
 暁が訝るように碧と小川を交互に見た。
「知り合いですか」
 耳の鼓膜が震える音がする。体の中をいつもより濃度の濃い血液が巡ってるように、体が痺れる。

「ずっと会いたかったよ」

 暁が訝しげに目を細めた。
「お、がわさんっ」
 碧は叫ぶように言って、肩にかけた鞄を命綱のように両手で握りしめた。そうしないと崩れ落ちてしまいそうだった。
「そういう話はまた、」
 後で、という前に、小川は微笑んだまま頷いた。
「そうだね」
 会議室にご案内しますね、と言う声が水の中から聞いてるようにぼやけて聞こえる。
 
 しんじられない。

 なんでこのひと笑ってるの。え、今なんて言った。

 ずっと会いたかった?

 くら、と視界がゆれる。あ、まずい今度こそ。どこか他人事のように思う。ポキン、と音がしたのは足元から。ヒールが折れた音が、まるで心の根っこを折られたように聞こえた。

 ころ、ぶ。

 そう思った一瞬後、強い力に引き戻された。

「大丈夫ですか」

 暁が二の腕を掴んでいた。見上げる、きれいな形の目。ずっと前にも、おなじことがあった気がした。

 目の奥がツンと痛む。暁の目の中に自分が映っている。まるで子どものように、途方に暮れた顔で。
 
 そうおもった瞬間、つかまれている腕を振り払っていた。高さの違う足で踏ん張ると、背筋を伸ばす。暁が眉を寄せて睨むようにこちらを見ている。碧のために伸ばした手が空中でぐっと握りしめられた。
 にこっと笑う。冷たい汗が背中をつたった。

「大丈夫です」

 だいじょうぶ。だいじょうぶ。自分に言い聞かせる。

 少し下がったところで碧を見ている小川と目が合う。全身の肌が固くなったような感覚に、きつく唇を噛んだ。
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