元教え子は現上司
もう恋はしない。そう誓ったはずなのに。この男の前では、いともたやすくそんな決心は消されてしまう。
まっさかさまに、落ちるようにというのではない。会わなかった八年間の間でもずっと蕾をふくらませていた花が、いま開いたのを目にしたような気もちになっている。
唇が離れて瞳を開けると、こちらをじっと見る暁の目と目が合った。睫毛の長さは、女の碧より遥かに勝っている。
「暁」
ためらいがちに名前を呼ぶと、睫毛に縁どられた目が和らいだ。その眼差しに押されるように口を開く。
「いいの?」
こんなタイミングで聞かなくてもいいのかもしれないけど、気になっていたことが口を突いて出た。暁が問うような眼差しを向ける。
「ユナさん。彼女なんでしょう」
ツキンと胸の奥が痛む。
暁はつかの間、見間違えでなければ呆けたような顔で碧を見ていた。やがて、
「プッ」
背を丸めて吹き出すと、そのまま笑い続けた。再会して以来、彼の笑顔は数えるほどしか見てない。こんなときとはいえ、どこかうれしかった。とはいえ、なにがおかしいのかわからない。
「暁?」
「だれから聞いたか知らないけど」
暁は笑ったまま振り返った。
「デマだよ。ユナさん、好きな人いるから」
「そうなの」
碧は目を丸くする。空気の抜けた風船のように、急速に力がぬけていくのを感じた。暁は頷いて、ナイショだけどね、と付け加える。
その後すぐ真顔に戻って、
「碧は?」
碧の頬を指の甲で触った。物憂げな動作に、落ち着いてきたはずの心臓が音を立てる。
「碧はいるの、好きなひと」
恥ずかしさに下を向く。今、キスしておいて、この男はなにを言わせようというんだろう。
「暁は、どうなのよ」
質問すればなんでも答えてあげる時期は終わったんだ。私はもう教師じゃない。そんなふうに思いながらジロッと暁を睨む。そんな顔をしながらも、体は小刻みに震えていた。
暁は唇の端を上げて笑う。高校生の頃のような、小生意気な表情。
「俺はいるよ。ずっとそのひとだけ好きだ」
その言葉で、それまであった自信のようなものがグラリと歪むのを感じる。目の前が暗くなった。
「碧」
あたたかな腕が、碧を抱きしめていた。耳元で、ドクドクと小刻みな鼓動を聞く。碧じゃない、暁の。
「面接希望だって碧の書類見せられたとき、驚いて死ぬかとおもった。人事は他の人を採りたがってたけど、どうしても俺、会いたかったんだ。だから面接通してもらった」
暁の声が鼓動と一緒に響いてくる。碧はまた涙がもり上がるのを感じた。今日はいろいろあったから、情緒不安定になってるんだろうか。
「タコ嫌いなの覚えてたり、平気な顔して話しかけてきたり、腹立つことばっかだよ。それなのになんでだろうな」
暁の腕がわずかに緩んで、碧は顔を上げる。
どきりとした。
泣きそうな、暁の顔。十六歳だったときも、こんな顔はしてない。あのときより、今が一番幼い気がするのはなぜだろう。
「もうどこへも行くなよ。俺のそばにいろよ、たのむから」
涙が落ちる。暁の背中に手を伸ばして抱きつくと、暁が碧を抱きしめる。同じくらい強く。このまま一つになれないのがふしぎなくらいだった。
もう一度降りてくる唇を、今度も受け止める。柔らかくて熱のある、好きな人とのキスだった。
もう絶対に、このひとを離したくない。そう強くおもった。
まっさかさまに、落ちるようにというのではない。会わなかった八年間の間でもずっと蕾をふくらませていた花が、いま開いたのを目にしたような気もちになっている。
唇が離れて瞳を開けると、こちらをじっと見る暁の目と目が合った。睫毛の長さは、女の碧より遥かに勝っている。
「暁」
ためらいがちに名前を呼ぶと、睫毛に縁どられた目が和らいだ。その眼差しに押されるように口を開く。
「いいの?」
こんなタイミングで聞かなくてもいいのかもしれないけど、気になっていたことが口を突いて出た。暁が問うような眼差しを向ける。
「ユナさん。彼女なんでしょう」
ツキンと胸の奥が痛む。
暁はつかの間、見間違えでなければ呆けたような顔で碧を見ていた。やがて、
「プッ」
背を丸めて吹き出すと、そのまま笑い続けた。再会して以来、彼の笑顔は数えるほどしか見てない。こんなときとはいえ、どこかうれしかった。とはいえ、なにがおかしいのかわからない。
「暁?」
「だれから聞いたか知らないけど」
暁は笑ったまま振り返った。
「デマだよ。ユナさん、好きな人いるから」
「そうなの」
碧は目を丸くする。空気の抜けた風船のように、急速に力がぬけていくのを感じた。暁は頷いて、ナイショだけどね、と付け加える。
その後すぐ真顔に戻って、
「碧は?」
碧の頬を指の甲で触った。物憂げな動作に、落ち着いてきたはずの心臓が音を立てる。
「碧はいるの、好きなひと」
恥ずかしさに下を向く。今、キスしておいて、この男はなにを言わせようというんだろう。
「暁は、どうなのよ」
質問すればなんでも答えてあげる時期は終わったんだ。私はもう教師じゃない。そんなふうに思いながらジロッと暁を睨む。そんな顔をしながらも、体は小刻みに震えていた。
暁は唇の端を上げて笑う。高校生の頃のような、小生意気な表情。
「俺はいるよ。ずっとそのひとだけ好きだ」
その言葉で、それまであった自信のようなものがグラリと歪むのを感じる。目の前が暗くなった。
「碧」
あたたかな腕が、碧を抱きしめていた。耳元で、ドクドクと小刻みな鼓動を聞く。碧じゃない、暁の。
「面接希望だって碧の書類見せられたとき、驚いて死ぬかとおもった。人事は他の人を採りたがってたけど、どうしても俺、会いたかったんだ。だから面接通してもらった」
暁の声が鼓動と一緒に響いてくる。碧はまた涙がもり上がるのを感じた。今日はいろいろあったから、情緒不安定になってるんだろうか。
「タコ嫌いなの覚えてたり、平気な顔して話しかけてきたり、腹立つことばっかだよ。それなのになんでだろうな」
暁の腕がわずかに緩んで、碧は顔を上げる。
どきりとした。
泣きそうな、暁の顔。十六歳だったときも、こんな顔はしてない。あのときより、今が一番幼い気がするのはなぜだろう。
「もうどこへも行くなよ。俺のそばにいろよ、たのむから」
涙が落ちる。暁の背中に手を伸ばして抱きつくと、暁が碧を抱きしめる。同じくらい強く。このまま一つになれないのがふしぎなくらいだった。
もう一度降りてくる唇を、今度も受け止める。柔らかくて熱のある、好きな人とのキスだった。
もう絶対に、このひとを離したくない。そう強くおもった。