元教え子は現上司
 愛してなければ絶対できない行為だ。
 
 熱に浮かされたような顔で、もう自分の身に起きてる行為を正しく認識できてないけど、それでも碧はそう思う。
 愛してなければ、赦してなければ、とうてい受け入れられない。文字通り丸裸になる、こんなこと。

「あおい」

 さっきから何度も呼ばれる名前。そのたびに眦が熱く溶ける。安物のベッドがギシリと音をたてる。安アパートの防音なんてたかが知れてる。だからできるだけ音も声も立てないようにしないといけない。
 そうわかってるのに止まらない。ばかみたいに必死になって、独特の熱と渦の中で翻弄されている。

「さとる」
 覆いかぶさっている男が一瞬動きをとめて、ふわりと笑う。スーツの下にある体を八年ぶりに見た。記憶よりも肉がついて固くなっていた。鎖骨にあるホクロが懐かしくて、それを見たら暁が驚くくらい泣いてしまった。

 もういちど触れ合えることがうれしい。昨日まではこんなこと想像もしなかった。だからあの涙は、昨日までの自分にむけたものだったのかもしれない。

 だいじょうぶだよ。また、好きなひとと抱き合えるよ。
 そんなふうに思いを馳せるなんて、やっぱり舞い上がってるし、同時に不安もあった。

 暁が知ってる、二十二歳の体。二十代を飛び越えて、三十歳を過ぎてしまった。暁の目にはどう映るんだろう。
「電気消して」
 できればごまかしてしまいたい。そんな思いで口にすれば、暁はなにが面白いのか唇の端をあげて笑った。
「やだね」
「さと――」
 反論する唇にひとさし指を一本あてられる。笑ったまま、
「ちゃんと見たいんだ、碧のこと。もうなにも隠してほしくない」

 体のことだけを言ってるんじゃないとわかった。こんなに早く求め合おうとしてるのは、さっきの告白がまだどこかで二人の胸を焦がしてもいるから。
 再会してからわからないことばかりだったのに。今はふしぎと、暁の思ってることが伝わってくる。

 それでもこわいと思う。八年ぶりなんて、はじめてより緊張する。
「あおい」
 暁が俯く碧の頬に手をあてて、宥めるようにキスをする。キスできる距離。こんなのもう望めないと思っていた。
 そう考えたら、なんて幸せなんだろう。
 両腕を伸ばして、暁の首に巻きつける。暁の髪が頬にあたる。この距離をたしかめたい。そしてもっと引き寄せたい。
「記憶とちがうなんて言ったら、許さないからね」
 耳元でぼそり呟いてみせる。顔は見えないけど、はじけたように笑ったから、きっとあの幼い顔をしてたんだろう。

「碧」
 シーツをつかんでない方の手は、ずっと握り合っていた。その手を更に強く握られて、溶けかけていた意識がふっと手繰り寄せられる。
「な、に」
 かすれた声で返すと、暁は体を密着させて囁いた。
「想像、以上。きれいだ、あいかわらず」
「――――」
 ぶわりと、熱と一緒に感情がうねる。
 恥ずかしい、うれしい、恥ずかしい。

 握り合ってない方の手を背中にまわす。薄かった背中は固く厚みがついている。そのことを素直に嬉しいと感じる。
 もう教え子じゃない。会社の上司と部下で、だからこうやってまた恋ができた。
 あの頃より太くなった両腕に包まれて眠りながら、ようやくここに帰ってこれた、と思った。
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