元教え子は現上司
8年前の、その後
 カキンッ。

 鋭い金属音と同時に、

 打ったぞー! 

 だれかの叫び声が響いた。

 真っ黒に日焼けした少年たちが、グラウンドを駆け回る。碧がいた頃、野球部は地区予選の最初のほうで負けてしまう弱小部だった。今はどうなんだろう。

 ミィ――ンミンミンミ――ン。

 校門を囲うように並ぶ木々から、蝉の声が鳴り響いた。
 門を抜けた奥の正面にある校舎は、八年経ってもまるで変わってなかった。三階建ての、少し色あせたクリーム色の壁。一番上の階の窓から、「吹奏楽部 全国大会出場決定」と垂れ幕が下りていた。その言葉を主張するように、どこかの教室からボォーッとホルンの鳴る音がする。ファンファン、ファーンと金管楽器の音。野球少年たちのかけ声。まったくタイプのちがう音同士がまざりあって、この場所独特のざわめきが聞こえる。

 ここにいたんだ。

 ぎゅっと胸が締めつけられる。

 ここで教えて、ここで出会って、ここで――恋をした。

 じわ、と涙が浮かんで、学校や少年たちの姿が陽炎のようにゆらめく。

 指先で涙を拭ってふたたび前を向くと、校舎から職員が一人出てきた。夏休み中でも関係なく先生は毎日学校に来ないといけない。教育実習生のときに聞いていたことは本当なんだ、とぼんやりと思う。碧は夏を前に辞めたから、夏休み中の高校教師がどんな仕事をするのか、結局知らず仕舞いだった。

 そんなことを考えていると、その職員が校門に向かって歩いて来た。じろじろと高校生を見ている碧は怪しまれたのかもしれない。おもわず一歩退く。八年も前に少しだけ働いていた自分のことなんて誰も覚えてないだろう。それでも声をかけられたくはなかった。

「先生?」

 その人は、碧に向かって歩きながらそう言った。引きかけていた身体が止まる。
「え――――」
 あと数歩、というところまでその人が近づいてきたとき、碧の息が止まった。

 ミィ――ンミンミンミンミィ――ン。

 蝉の声が耳を劈くように鳴く。

「やっぱり、久松先生ですね」

 八年前、碧の指導教員だった袴木が、目の前に立っていた。
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