元教え子は現上司
 碧の前で、話し疲れたのか先輩教師はひとつ息を吐くと、穏やかに笑った。

「それからの遠野は、人が変わったように真面目になりました。授業もきちんと出て、休み時間にも職員室に質問に来たりしてね。それまでの数ヶ月はなんだったんだろうと、よく教師連中の話題にのぼったりしましたよ」
 碧は目元に浮かんでいた涙を拭いながら、そうですか、と小さく答えた。
 
 あんた、相変わらずうそつきだな

 暁の言葉を思い出す。
 どんな気もちで、あのときそう言ったんだろう。

「あいつ、大学を卒業後は教育系のシステムの会社で働くことにしたって、就職が決まったときに連絡をくれてね」
 袴木の言葉に顔を上げる。袴木は微笑みながら、
「あいつが教育に関わる会社を選んだのは、少しでもあなたと接点のある場所に行きたかったからなんじゃないかなって、僕はそう思うんですよ」
 直接聞いたことはないけどね、と言って袴木は朗らかに笑った。

「あの、会えたんです」

 おもわず言っていた。
 今日まで、さっきまで、同じ場所で働いていたんです。
 そう思って、また涙が溢れた。
 
 暁。
 さとる。
 ずっと思っていてくれた。
 
 俺はいるよ。ずっとそのひとだけ好きだ

 声が心の内に響く。涙が止まらなかった。
「そう。会えたんですか」
 袴木が嬉しそうな声をあげる。
「よかったね、これでようやく幸せになれるね」
 胸に痛みが広がる。悟られまいと、わずかに笑ってみせた。
「ありがとうございました。お話、聞けてよかったです」

 立ち上がると、袴木が手に持った漫画を目に留めた。表情を和らげて、
「そういえば、久松先生は少し変わった教育をしてたそうですね。生徒から聞きましたよ」
 漫画を貸して感想文を提出させていたことが、ばれていたらしい。あ、これは、と口の中で言い訳をしようとすると、袴木は鷹揚に手を振った。
「いや、やっぱり若い人が考えることは面白いね。いいよいいよ」
 久松先生、と呼びながら、袴木は資料室の扉を開いた。

「短い間でしたが、あなたは良い教師だった。僕は今でもそう思っていますよ」
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