元教え子は現上司
「どうして君がいるんだ」

 小川は暁を見て、そして二人の手がしっかりと繋がれていることに気づき表情を無くした。めがねのツルを抑えて、抑揚の無い声で言う。
「碧、これはどういうこと?」
 心臓が、そこから逃げ出そうとするようにバタバタと騒ぐ。

 逃げない。
 暁の手を強く握った。
 
 もう二度と逃げたりしない。

 そう、私はずっと逃げてたんだ。暁からも、小川さんからも。両手にいろんな思いを抱えて、一人で走り回ってた。
 でもこれからはそうじゃない。私の片手は、好きな人と手を繋ぐためにあるんだと、そう思いたいから。
 だから今、戦う。

「小川さん、あなたの運命の相手は私じゃありません。あなたが話をしないといけない相手も、私じゃありません」
 碧はしっかりとした声で言った。たとえば、大教室。一番後ろに座る生徒にも届くような大きな声。碧は教師だった。いつだってその気になれば、大きな声で伝えることができる。

 こんな自分でいられるほうが、ずっといい。
 凛としていたい。
 暁が好きだと言ってくれた自分のことを、好きでいたい。

 小川の口元がぴくりと痙攣するように動く。碧はふっと後ろを振り返った。
「きちんと話をした方がいいと思います。お二人は夫婦なんですから」
 碧の視線につられるように部屋の奥を見た小川が、目を見開いた。口元がわずかに開く。

「……なぜ」

 小川の妻の馨が、部屋の隅に立っていた。
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