元教え子は現上司
「あなたが羨ましかった」

 電話口の馨の声が、涙を含んで途切れ途切れに聞こえる。
「自分の意志で立ち、話している。私にはないものを持っているあなたが羨ましくて、憎かった」
 馨の言葉をどう受け止めていいかわからなかった。なにも言えないでいると、後ろから肩を抱かれた。顔を上げると、暁が碧をじっと見ている。その眼差しに助けられて、話を聞き続けることができた。

 本当は、すぐにも切ってしまいたい。
 この声を、話を聞くのが恐い。記憶が胸をじくりと疼かせる。
 だけど、泣いている女はどこか自分と重なるところもあった。

 肩に置かれる手に鼻先を押し付ける。自分とはちがう、膚(はだ)の匂い。その手が頬を撫でた。

 愛しい。愛しいひと。

 いつだって自分だけを見てほしくて、あがいている。いくつになっても。大人になっても。
 誰もがみな、きっと。

「馨さん。私の家に来ませんか?」 

 気がつけばそう尋ねていた。その言葉に驚いたように暁が碧を見つめている。電話の向こうで、馨が息を飲む気配がした。
「もうすぐここに小川さんが来ます。そのとき、話をした方がいいと思うんです。お二人は夫婦なんですから」
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