元教え子は現上司
最悪の再会
 どくん。どくん。

 心臓が鳴るたびに、頭の中が白く塗りつぶされていく。手が水みたいに冷たい。

 うそでしょう。こんなことって。

「――というわけで、弊社は年齢に関係なく、その人物に見合ったポジションを与えるようにしています。遠野もまだ二十、五? だっけ」
「四ですね」
 さっきと打って変わって穏やかに笑うその人――暁が相槌を打つ。
 長谷はそうか、と頷いて
「まぁ、彼もまだ若手なんですが、この春からリーダーになりまして。部署を引っぱってもらっています」
 そう、なんですね。かろうじて相槌を打つ。
 自分は今、果たして笑えてるんだろうか。お化けでも見たような顔してる気がする。

 両肘を突いた手の甲に顎を乗せ、暁が悠然とこちらを見ている。
「どうしたんですか? 気分でも悪いんですか」
 どくん。
 声を聞いて、また眩暈を感じる。
 声。あれから八年経ってる。

 ――暁、男の人の声になってる。

「おまえが驚かせるからだろう」
「いや、ほんとすみません。なんか人違いしちゃったみたいで」
 ははっと暁の笑う声。

 笑い声。
 暁が、笑ってる。

 気がついたときには涙があふれていた。
「ひ、久松さん?」
 長谷がガタンと立ち上がる。碧は焦って手で目元を覆った。

 なんで泣いてるのよ、いま面接中なのに!

 指先の間から暁を見ると、驚きもせずにこちらをじっと見ていた。
 まなざしは、八年経っても変わってなかった。

 さと、る。
 さとるだ。
 本物なんだ。

 会えたんだ。

 後から思い返しても、この瞬間は本当にうれしかった。
 ひどい別れ方をしてしまったひと。あれからもずっと気になっていた。
 ちゃんと大人になってる。リーダーなんて責任のある立場で、こうやって採用側にも立っている。

 よかった。

 ホッとしたら涙が止まらなくなってきて、嗚咽まで始まってしまった。
「久松さん、大丈夫ですか」
 オロオロと心配する長谷。碧は黙って何度も頷く。
 もういい。面接落ちてもいい。顔が見れたから、それだけでいい。

「なに、泣いてんの?」

 低い声に顔を上げた。
 暁が、片肘に顎を乗せて碧を見ていた。さっきとはまたちがう、退屈なテレビでも見てるみたいな表情で、
「意味不明なんですけど。帰ってもらえます?」
 そう言った。

「お、おい遠野」
「時間の無駄ですよ、長谷さん」
 暁は腕にはめた時計を見ると、
「俺、次の会議用の資料作りたいんで。戻ってますね」
 そう言いながらすでに立ち上がっていた。ガタン。立ち上がる椅子の音が会議室に響く。

 遠野、と長谷が呼ぶのを、碧はぼんやりと見つめていた。暁は、八年ぶりに会った元恋人は、目の前をすっと通り過ぎていった。一度も振り返ることもなく。
 バタン。
 扉が閉められる。
 その後ろ姿が、閉められた扉が、八年前の資料室から出て行った背中と重なって見えた。
 
 いつのまにか涙は止まっていた。ぼうっと扉を見る。長谷が何か言ってるけど、まったく耳に入らない。

 やっぱり憎まれてるんだ。

 事実がしんしんと胸に降って、碧は黙ってそのことを受け入れていた。 

 そうだろう。からかっただけだと目の前で言われて、次の日から姿を消した元恋人なんて、碧以上に会いたくなかったはずだ。

 そうだよなぁ。

 悲しみも一周回って、ふっと力なく笑った。
< 8 / 86 >

この作品をシェア

pagetop