元教え子は現上司
 些細なやり取りだったはずなのに、暁の胸の奥にそれは留めておかれ、新しい記憶で上書きされることはなかった。夜一人で音楽を聞いてるとき、開いた窓から風の匂いを嗅ぐとき、碧のことを考えていた。

 久松先生漫画貸してくれるらしいよ。

 クラスメイトが話してるのを聞いて、それってほんとですか? と尋ねたのはそれからすぐのこと。そうだよ、と笑い返され、感想文ちょうだいね、とこちらに向いた白い掌と手首に胸がざわりと音を立てた。

 さわりたい。

 自分の欲望が、まっすぐにこの年上の教師に向かっていることがわかった。

 どうしてだろう。女子なんて、まわりにいっぱいいるのに。なにもそんな難易度の高いところに、みすみす飛びこんでかなく立っていいだろう。そう言う自分の声もたしかに聞こえてるのに。

 それでも止められなかった。風で揺れる彼女の長い髪に、触れてみたいと思ってしまった。
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