エリート室長の甘い素顔
 雪枝おばさまは悠里の大叔母にあたる人だ。
 父方の祖父の妹で90に近い歳のはずだが病気一つしない。
 闊達な性格をしており、人数だけは多い親族の中でもおそらく雪枝おばさまが一番元気だ。

 松村家は親族が皆このあたり一帯に住んでいる。
 一応23区内とはいえ昔からの下町で、悠里も生まれたときからここに住む生粋の地元っ子だ。
 雪枝おばさまの家は、ここから歩いて10分ほどの距離にある。


 悠里は面倒くささにため息を吐くと「そう……」と呟いて軽く手を振り、顔を洗うため洗面所に入った。

 そのまま台所に戻ると思った母は、意外にも悠里の後を追いかけてきた。

「ねぇ悠里……雪枝おばさまの用事って、多分あなたのお見合いの話よ」

 悠里が振り返ると、母は困ったような心配そうな顔をしている。


 雪枝おばさまが見合い話を持ってくるのは初めてではない。

 悠里が25を過ぎてから、それとなく交際相手の有無や結婚の意志などを確認されるようになった。
 28を超えてからは、好みのタイプや相手に求める条件などを事細かに聞かれ、写真や釣書を持ち込まれたことも何度かある。

「わかってる。大丈夫よ」

 悠里は昨年29になり、今年30を迎えようとしている。
 もういい加減、気軽に大丈夫とは言い切れない年齢になってしまったが、悠里はまだ結婚する自分を具体的にイメージすることが出来ずにいた。


「雪枝おばさま、今度は諦めないと思うけど」

 母の言葉に、悠里は苦笑いを浮かべる。

「そのときはそのとき。良い相手だったら、前向きに考えればいいんだし」

 母は眉根を寄せ、呆れたようにため息を吐いた。

「本当に結婚する気があるならいいけど……あなた、本当は好きな人がいるんじゃないの?」

 一瞬ドキっとし、内心焦りながらそれを悟られないように下を向く。

「……いないよ、そんな人」

「これまでに来たお話だって、条件としては悪くないものばかりだったのよ? 雪枝おばさまだって、悠里のことはとても可愛がって本気で心配してくれてる。あまり無下にはしないで」

 悠里が顔を上げるのと同時に、母はさっさと台所に戻っていってしまった。


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