エリート室長の甘い素顔
 営業の若い女性にはままあることだが、ある取引先の男に迫られ、それが大口の得意先だったこともあり、松村は困っていた。


 当時の大谷は課長に昇進することが内定したばかりで忙しく、いつもならその取引先に行くときには必ず一緒について行ってたのだが、その時はうっかりした。


 気が付くと松村がいない。

 しかも、使えるものは身体でも何でも使えばいいと公言して憚らない馬鹿な男が営業にいて、そいつと一緒に出掛けたという。


 場所と相手を確認し、青ざめた大谷はそこを飛び出した。


 案の定、一緒に行ったはずの男はいなくなり、取引先の男が松村を強引にホテルへ連れ込もうとする現場に遭遇した。

 そのホテルが接待先に近かったから助かったのだ。
 遠くに移動されていたら危なかった。


「松村!」


 大谷が大声で叫ぶと、松村を連れ込もうとしていた相手先の部長は顔色を変えた。

 当然だが、松村は本気で抵抗している。

「……っ、大谷さん!」

 あの気の強い松村の声が、半泣きになっていた。


 ラグビーをやっていた大谷は、昔取った杵柄で相手にタックルをかます。
 と同時に突き飛ばした相手と、松村を引き離した。

 一緒に飛ばされないように抱きしめたのだ。

 それは一瞬のことで、松村は驚き目を丸くしていた。


「お前……よりによって、あいつなんかと一緒に行くなよ……」

 あいつとはあの馬鹿のことだ。
 営業成績さえ上がるなら他はどうでもいいと思っている男――


「……だって、大谷さん忙しそうで。邪魔するわけには……」

 松村は眉根を寄せ、いつもはキツいその目を涙で潤ませていた。

「馬鹿野郎……お前に何かあったら、罪悪感で死にたくなってたぞ」


 そこで松村を抱きしめたままだったことに気付き、大谷はパッと手を離した。
 すると、今度は松村のほうから抱きついてくる。

「おい……」

「大谷さんありがとう……怖かった……」


 震える細い肩を、ポンポンと優しく撫でた。

 いつもの印象とは全く違う、柔らかくて女性らしい香りが鼻をくすぐる。

 それはこの距離に近づかないとわからない自然なもので、普段の松村に香りを感じたことはなかった。


 さっき無意識に腕を回していた腰も、うんと細くて華奢だった。

 意識しだしたら、もう同じようには触れない。


「帰るぞ、松村」

 多少強引に引き剥がすと、松村は寂しげな顔をした。

 また背中を軽く撫でてやり、駅の方に向かって一緒に歩き出す。

 さきほど突き飛ばした男はとっくに逃げだしていた。



 それから、ふとしたときに、松村の香りやあの華奢な身体を思い出す。
 そしてそのたびに強い自己嫌悪を感じた。


 松村はいつでも大谷の近くにいて、二人の関係は上司と部下で何も変わらない。

 にもかかわらず、大事に思う気持ちだけは大きくなっていく。


 松村から向けられる好意の視線も、言葉も、いつしかそこにあって当然なもののような気がしていた。

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