エリート室長の甘い素顔
「悠里さんさえ良ければ……ごちそうになろうかな」

 安藤は悪戯っぽく微笑んで、悠里を振り返る。

 そんな言い方をされては断れない。安藤は当然それを分かっていて、こういう顔をしているのだろう。

 元より断れるはずもなかった。父の入院時に世話になった礼はしなければならない。

 だがなによりも、あんなに落ち込んでいた母が、父が倒れてから初めて笑顔を見せている。


「……うちの夕飯がお礼になるのか、わかりませんけど」

 肩をすくめてそう答えれば、安藤はとても嬉しそうに笑った。

「やった。じゃあ、片づけも手伝いましょうか?」

「それはいいです! 仕事の書類なんで」

 悠里は慌ててダイニングテーブルの上に置きっぱなしだったノートパソコンと書類の束をまとめた。


 そんな安藤とのやり取りを見て、母と弟はニヤニヤと笑っている。

(あ……これは、かなりマズい展開……)

 悠里はそこでやっと、自分が思ってもみなかった罠に突然放り込まれたことに気付いた。

 それはつまり――


 悠里がおそるおそる振り返ると、安藤はほんの少しの申し訳なさを滲ませながら微笑んだ。

(計算ずく……それって、さっきの言葉が本気ってこと?)

 この百戦錬磨の美しいキツネは、知らないうちに悠里の足元を固めにきている。


(どうしよう……)

 このままでは、気が付いたら安藤と結婚していたなどという信じられない展開もありえそうで怖い。


 彼の本気が伝わってきて、焦りと混乱で悠里の頭の中は真っ白になっていった。

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