蕾の妖精たち
 私生活では、給料が良くなったお陰で、翠川は安アパートから、駅に近いマンションへ引っ越した。

 引っ越しを終え、マンションに入居する時、今までの苦労が、ようやく報われたような感じがした。

 貧乏人が、這上がった……。

 そんな、まさに直接的な感情だった。

 お金に困らず、普通に暮らせるのである。

 そして、親を養っていく事も出来るだろう。

 とにかく真面目に働いて、給料を得るのだ。

 それこそが、安定した生活なのだ。


 ◇


 ピンポーン。

 何の前触れもなかった。

 引っ越し後まもなく、そのマンションを訪ねてきたのが、榊舞子であった。

「こんにちは。お久しぶりね」

 まだ開封していない段ボールを縫って、僅かに拓いたスペースに、舞子は上がり込んできた。

「アメリカから戻ってきたのですか?」

「ええ、そうよ」

 舞子はそう言うと、未開封の段ボール箱のテープを勝手に剥がし出す。

「こんな所まで、何しに来られたのですか?」

「引っ越しでしょう? 新しい住まいを拝見しに来たわ」

 榊舞子は、地方財閥の娘だ。
 郷里にいたころから、何かと金の力をチラ付かせて、舞子は君臨していた。

 しかし、正直なところ、翠川からみて、高嶺の花といった憧れのような、都合の良い感情など、持ってはいなかった。


「ここは、貴方の来るところではありません」

「あら、そうかしら?」

「そうです。財閥のお嬢さんなら、それ相応の場所と人を選ぶべきです」

「ふーん。昔と変わらずに堅いこと言うわね」

 舞子は鞄から、細長い煙草を取り出し、慣れた手付きで火を着けた。
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