蕾の妖精たち
「いや、ごめん。大人の世界の話だとは、子供の頃から分かってはいたんです」

「なら……」

「違う、違うんです。僕は貴方から逃げていたのです」

「逃げる?」

「お金を沢山持っている人達が、怖かった。貴方はご存じないと思いますが、商店街では毎年のように人が死ぬのです。治療費が払えなかったお爺さんや、貧しくて店を畳み、生活苦に自殺したお婆さん……」

「……」

「お金を持っている人達が、その死んだ人達の幸せを奪っているようで、恐ろしかったのです。吸血鬼のようで。だから、貴方も怖い。お金を沢山持っていて、思い通りの人生を歩める貴方も、僕にとっては羨ましいのではなく、恐ろしい存在なのです」

 舞子は携帯用の灰皿の中で、まだ半分も吸っていない煙草を揉み消した。

「私のことを、そんな風に思っていらしたんだ」

 舞子は小さな声でそう言うと、また、傍らにあった段ボール箱のテープを剥がし出した。

「すみません。こんな事、貴方に話すつもりではなかったのです」

「いいの。孝之の本音がやっと聞けたような気がする。貴方と私のわだかまりは、そんな根の深いところから始まっていたのね」

 舞子は段ボール箱を開き、中から新聞紙で包まれた食器を取り出した。

「ねぇ、これからは舞子として見て下さらないかしら? 私はクラスを任せられなかったけれど、貴方と同じ高校に勤める同僚の教師」

 そこまで舞子が話すと、

「私達、もう一度、始めからやり直しね」、と付け加えた。


 この時を境に、孝之と舞子の関係に、わだかまりはなくなった。

 二人が正面を向いて付き合い出すのに、実に二十五年の歳月を費やしたことになる。
 


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