蕾の妖精たち
「ヒッ、ヒッ……。アアア……。アア」

 少女の声だった。

 少女は男の顔面を踏み付けながら、空を見上げ、口を大きく開けて泣き出した。


 暫くすると、また、雨粒が落ちてきた。

 ぽたぼたと滴る雨の雫が、少女の頬から流れた。


「この男を、交番に突き出すからね」

 翠川は穏やかに、少女に話した。

 大丈夫かい? 、などという安易な言葉は、半放心状態の少女に対し、全く出る筈もなかった。


 翠川は、自転車の荷台に巻き付けてあったゴム紐で男を縛り、まだ、空に向かって泣いている少女に声を掛けた。


「これを着て。僕の体操服だけど、とにかく、これを着て」


 翠川は少女に、持っていた紙袋から、青い体操服を差し出した。

 ようやく翠川の方に見た少女は、ただ黙って頷いた。


「それに、君はここにいて。僕は直ぐに戻ってくるから」


 そういって翠川が少女に見せないように男を立たせた時、少女がガクガクと震え出し、その場に崩れ落ちそうになった。

 翠川が男を突き飛ばし、少女を支えた時、草むらで硬い何かを踏み付けた。


 蕾の刺繍だろうか。しかし、奇妙なのである。葉や茎はあるのに、花がない。そんな手作りのカバーで覆われた、生徒手帳であった。

 少女のものだろうか?

 泥だらけだが、拾い上げると一頁目に名前が書いてあった。


 相川……、幸乃。


 少女はそのまま、翠川の胸の中で、気を失った。

 



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