おじさまと恋におちる31の方法
一時間が経って、ようやく雲が切れ間を見せた。
雨が地面を濡らす音が聞こえないことを確認したらしい。
いよいよ『教授』は鞄にノートを放り込み、席を立った。
「どうもごちそうさま」
「ありがとうございます。お会計は500円になります」
紗江の提示した金額に、くたびれた財布を開きかけた彼の手が止まる。
「うん?でも…」
2杯分を頂いているんだけど、と口を開きかけた『教授』に、紗江はそっと囁いた。
「いいんです、ご贔屓にして頂いているので…たまには私から」
ほんの少し近づいた時。
彼から、紅茶やコーヒー以外の苦い香りが私の鼻をくすぐった。
てっきり紗江はこの時、彼から「ありがとう」とかそういう感謝を聞いて、五百円の一枚でも出して、いつもと同じように颯爽と店をあとにするのだと思っていた。
しかし、今までになく一番近くで見た彼は、ほんの少しだけ目を見開き、次には何かを思考するかのようにゆっくりと目を細め、最後には彼女ではなくカウンターの人物へ声をあげたのだ。
「マスター!」
まさか自分が声をかけられると思っていなかったマスターは、手持無沙汰に口髭をいじっていた手を慌てて引っ込める。
「はっ、はい!何でしょう!」
レジスターの前にいた彼は、慌てて駆け付けたマスターへ、颯爽と一枚の名刺を渡す。
小奇麗でシンプルな名刺には、こじんまりとしたフォントで『小説家 飯村 薫』と記してある。
「僕は飯村薫と申します。一応、物書きです」
二人の目が、マスターの手の中にある名刺に釘付けになる。
何だ。物書きなんて言う割に、ちゃんと『小説家』と自分で銘打っているじゃないか。
苦笑しようとした紗江の唇は、しかし次に彼から出された提案で見事に動きを失ってしまったのである。
「一ヶ月、彼女を僕に貸してくれませんかね」