おじさまと恋におちる31の方法
【2】 では次に自己紹介をしようか
「だって君は、俺がいなくても何だって一人で出来るだろ?」。
紗江の恋は、大抵このセリフで一方的に幕を下ろされた。
仕事や趣味を優先しがちだった彼女は、彼らからすれば恋人ではなかったらしい。
だがそこで皮肉だったのは、そのセリフを悲しいと感じる前に、彼女が自分自身ですら「そうだよね、確かに」と納得してしまっていたことだった。
良く言えば
彼女は同年代の子よりずっと、一人の時間の楽しみ方を知っていて
悪く言えば
相手の求める距離感を分かっているにも関わらず、自分勝手にパーソナルエリアだけはきっちり守ろうとしたのかもしれない。
「そうね、別れましょう」。
紗江も紗江で、別れ話は大抵このセリフでぶっつりと終わらせた。
ナイトシアターを観て涙を流したり
少し足を伸ばして、見つけた新しいカフェで朝ごはんを食べたり
ただの冷やかしでウィンドウショッピングをしたり…。
それらは全て意味のない時間で、でも彼女が彼女であるために必要な時間だった。
だからこそソレを揺るがすような恋人なら、彼女には必要なかったように思えたのだ。
静かで、でもささやかな幸せな毎日を。
そんなことを目標にして、わざわざ服飾セールスの仕事も辞め、理想の毎日が叶えられそうな喫茶店に転職したのだが。
素敵なセカンドライフを謳歌するために、わざわざこの喫茶店の求人に応募したのだが。
素敵なセカンドライフを謳歌するために、謳歌するために。
嵐のような訪問から翌日。
「あっははははは!おっかしーい、それ本当?紗江ちゃん」
客がいなくなったテーブルを拭きながら、パート勤務の響子は昨日の出来事に思い切り笑い声を上げた。
「…笑い事じゃないですよ、響子さん…」
「あら、ごめんなさいね。違うのよ、今時珍しいロンティックストーリーだなと思ったの」
程よいルージュの唇を品良く半円に描きながら、響子は年甲斐のない悪戯な笑みを紗江へと見せた。
自称52歳を数えるパート店員は、紗江から見ても程よいプロポーションと色気に、30代後半に見えても言い過ぎではないくらいの容姿である。
紗江はコーヒーミルをセットしながらぼやく。
「今時怖いですよ…ほとんど話した事がない人から『恋する気持ちを教えて欲しい』って!
あの人がもしハゲててデブで呼吸も荒いようなアラフォーだったら、すぐさま警察に通報されるようなことじゃないですか」
響子が意味深に笑う。
「その口ぶりだと、紗江ちゃん、見た目は気に入っているのね?その…飯村さんて方」
コーヒーの香ばしい香りが広がるが、紗江は顔をあからさまにしかめる。
「一般的に見て、というだけです」
しかし響子にはその嫌さが通じていないらしい。
「もういっそのこと、一ヶ月だなんて言わないで付き合っちゃいなさいな。これも一つの縁じゃないかしら」
「……響子さん、ただ楽しんでませんか」
「あら、バレちゃったわね。うふふ」
そう言いつつ、響子は「私も会ってみたいわー、アラフォーイケメン小説家さんに」と言い出した
。
その薬指に、結婚指輪としては遥かに豪華なモノがはまっているにも関わらず。
「たまたま私がいない木曜日だけにしか来ないなんてー…。
もうっ、紗江ちゃんも言ってくれればいいのにっ」
「響子さんには最愛の旦那さんがいるじゃないですか…ちゃっかり社長夫人のくせに」
「女は何歳でも恋したいものよーうふふ」
雑談とも取れぬ雑談に、キッチンにいるマスターが声を上げる。
「内海さあん、表の黒板書き直して来てくれるかなあー」
「はい、分かりました」