結婚前夜ーー旦那様は高校生ーー
駅までの道を走りぬけて電車に乗り込み、四駅目で降りた。
単線しかないその小さな駅は、改札を抜けると桜並木に続いている。けれど三月になったばかりの今はまだ桜も咲いておらず、生い茂る薄緑色の葉が蕾を隠して揺れていた。
去年ここを通ったときに見た桜の木々が満開になるところを、今年は見ることができない。そんな変化のひとつひとつを、じっくりとかみしめる余裕もなく並木道をひた走った。
悩んだけど、最後まで手元に置いておく上着はダウンジャケットじゃなくてトレンチコートにして正解だった。数日前の寒さが嘘のようなあたたかな日差し。あっという間に背中が熱くなる。
駅から続く並木道は、石の門によって途切れた。門の前に並べられた沢山の自転車は、強風で軒並み倒されている。
門には赤と白の飾りの花で縁どられた看板が立てかけられていた。
第四十二回 桜ヶ丘高校 卒業式典
看板や門の前で、沢山の高校生とその保護者たちが話したり写真を撮ったりしていた。高校を卒業して十年も経つと、どの子もみんな一緒に見える。
ううん、そんなことない。
「夏帆!」
声に振り返った。左右、後ろ、ななめ前にまったく同じ黒いブレザー。その集団の真ん中から、背の高い男の子が自分に向かって手を振っていた。振り上げた手に握られた卒業証書が、日差しを受けて強く光る。
卒業したんだ。本当に。
走り寄ると、少年は両腕を広げて夏帆を待っていた。
どんなメダルよりトロフィーより、これを見たかった、ずっと。
走った勢いのまま、夏帆は少年の腕に飛びこんだ。抱きとめる強い力。きれいな形の目と目があったのは一瞬で、そのまま高く持ち上げられた。
えぇっと周りの子たちがどよめく。なにあれ、だれ? ユーキのお姉さん? 近くで声がする。
夏帆は笑いながら少年に言った。
「卒業おめでとう、悠樹(ゆうき)」
空を仰ぐと、ぐんと高くなった目の上に、並木道と同じ桜の木が枝を伸ばしていた。ふ
っと一年前を思い出す。あのとき、頭上にあったのは満開の桜の木だった。
あれからもう一年経ったんだ。
「なんか一年、早かった」
悠樹も同じことを考えていたようだった。桜の木を見上げながら言う。夏帆は頷いて、悠樹に視線を移した。
悠樹が制服を脱いで卒業する日をどんなに待ちわびたか。小説やドラマみたいに、ページをめくったらもうニ年後、というように時が経てばいいとどれだけ思っただろう。
だけどいざその時が来ると、過ぎ去っていっためまぐるしい一年が愛しくまぶしい。いろいろあったけれど、今日を迎えることができてよかった。
「ユーキ!」
ひときわ甲高い声に振り返る。明るい髪の色をした女の子が、すぐ隣に立っていた。こちらを見上げる目は警戒するようにツンと尖っている。
「そのひとだれ?」
悠樹は一瞬その子を見ると、もう一度夏帆を振り返った。にこっと笑う。歳相応の明るい笑顔。
「俺の奥さん」
尋ねた女の子の表情が固まる。エーッ。叫び声があちこちから上がる。
――ざぁぁ。
瞬間、水色の空に吸いこまれていく花びらたちの光景が見えた気がした。空を見上げて夏帆は微笑んだ。
風に舞う白い桜。純白な、花嫁の色だ。
単線しかないその小さな駅は、改札を抜けると桜並木に続いている。けれど三月になったばかりの今はまだ桜も咲いておらず、生い茂る薄緑色の葉が蕾を隠して揺れていた。
去年ここを通ったときに見た桜の木々が満開になるところを、今年は見ることができない。そんな変化のひとつひとつを、じっくりとかみしめる余裕もなく並木道をひた走った。
悩んだけど、最後まで手元に置いておく上着はダウンジャケットじゃなくてトレンチコートにして正解だった。数日前の寒さが嘘のようなあたたかな日差し。あっという間に背中が熱くなる。
駅から続く並木道は、石の門によって途切れた。門の前に並べられた沢山の自転車は、強風で軒並み倒されている。
門には赤と白の飾りの花で縁どられた看板が立てかけられていた。
第四十二回 桜ヶ丘高校 卒業式典
看板や門の前で、沢山の高校生とその保護者たちが話したり写真を撮ったりしていた。高校を卒業して十年も経つと、どの子もみんな一緒に見える。
ううん、そんなことない。
「夏帆!」
声に振り返った。左右、後ろ、ななめ前にまったく同じ黒いブレザー。その集団の真ん中から、背の高い男の子が自分に向かって手を振っていた。振り上げた手に握られた卒業証書が、日差しを受けて強く光る。
卒業したんだ。本当に。
走り寄ると、少年は両腕を広げて夏帆を待っていた。
どんなメダルよりトロフィーより、これを見たかった、ずっと。
走った勢いのまま、夏帆は少年の腕に飛びこんだ。抱きとめる強い力。きれいな形の目と目があったのは一瞬で、そのまま高く持ち上げられた。
えぇっと周りの子たちがどよめく。なにあれ、だれ? ユーキのお姉さん? 近くで声がする。
夏帆は笑いながら少年に言った。
「卒業おめでとう、悠樹(ゆうき)」
空を仰ぐと、ぐんと高くなった目の上に、並木道と同じ桜の木が枝を伸ばしていた。ふ
っと一年前を思い出す。あのとき、頭上にあったのは満開の桜の木だった。
あれからもう一年経ったんだ。
「なんか一年、早かった」
悠樹も同じことを考えていたようだった。桜の木を見上げながら言う。夏帆は頷いて、悠樹に視線を移した。
悠樹が制服を脱いで卒業する日をどんなに待ちわびたか。小説やドラマみたいに、ページをめくったらもうニ年後、というように時が経てばいいとどれだけ思っただろう。
だけどいざその時が来ると、過ぎ去っていっためまぐるしい一年が愛しくまぶしい。いろいろあったけれど、今日を迎えることができてよかった。
「ユーキ!」
ひときわ甲高い声に振り返る。明るい髪の色をした女の子が、すぐ隣に立っていた。こちらを見上げる目は警戒するようにツンと尖っている。
「そのひとだれ?」
悠樹は一瞬その子を見ると、もう一度夏帆を振り返った。にこっと笑う。歳相応の明るい笑顔。
「俺の奥さん」
尋ねた女の子の表情が固まる。エーッ。叫び声があちこちから上がる。
――ざぁぁ。
瞬間、水色の空に吸いこまれていく花びらたちの光景が見えた気がした。空を見上げて夏帆は微笑んだ。
風に舞う白い桜。純白な、花嫁の色だ。