それは、一度終わった恋[完]
香りの記憶は強烈だ。
場所や言葉だけでなく、その時の体温や感情までも掘り起こしてしまう。
「スミ先生、大丈夫ですか?」
完全に意識をしてしまっていることが、きっと彼にも伝わってしまう。どうしよう、どうしたらいい?
私はまだ、あなたの香りが忘れられない。
「スミ先……」
心配した様子の彼の手が、自分の顔を覆っている私の手首に触れる。
この熱を持った瞳を今あなたに向けたら、絶対に気持ちを見透かされてしまう。
――『ああ、この子君のことだったのか。ずっと綺麗な名前だと思ってた』
やめて、駄目だ、近寄らないで。
その香りを思い出したら、溢れてしまう。いやだ、離れて。
「さ、触らないで下さい……」
「え」
「だ、大丈夫です、今起き上がりますから、すみませんありがとうございます」
「そうですか……」
自分の口から出てしまった冷たい言葉に、自分でも驚いた。私は慌てて取り繕うように体を起こしお礼を言った。
しかし、突然肩をとんと押されて、視界がふたたび90度戻り床に組み敷かれた。
「自分から自然消滅を選んだのに、なんでそういう表情をするんですか?」
苛立った様子の一之瀬さんに上から見下ろされて、私はかなり動揺していた。一之瀬さんの匂いのせいで、一度振り切ったはずの思い出がふたたび蘇ってしまった。
……それから、顔の横に置かれた手に力が入るのを微かに感じ取った。
「言っとくけど、俺はちゃんとお前が好きだった。それでもお前が別れを選んだんだ。だから未練なんて言葉、お前が使ったら俺は怒るよ」
真剣な瞳に捉えられて、体が一気に硬直した。
「怒るからな」
冷静な瞳の中に、少しの苦しさが紛れているのが見えて、私は激しく動揺した。そして、自分がしたことの酷さを改めて痛感した。