それは、一度終わった恋[完]
井上さんに言われたことと重なって、頭の中で何かがぷつんと切れた。
「言っときますけど、私の親は超スパルタで、お稽古が辛くて泣いただけで家から追い出されてましたし、中学の頃は漫画好きってだけで部内でいじめにもあってました。やっと描きあげた初の原稿はいじめっ子たちに破られたし、高校生になってもその子達にいつ街で偶然会うかビクビクしてました。志望大学に行けなくて親に泣かれたり、大学受験のストレスで倒れた時もありました。やっと入った大学でできた本当に好きな人とも別れなくちゃいけなくなりました。なんの苦労もない人なんて、この世にはいないんです!! 勝手にそうやって決めつけないで下さい!!」
こんなに感情を剥き出しにしたのは人生で初めてだ。
息が切れて、めまいがする。怒りでクラクラする。
助けて、誰か助けて。
「かわいそうに……そんなに辛いことがあったんだね」
「かわいそうとか、同情してほしくて言ったわけじゃ」
「僕がそばにいて守ってあげるから……」
「や、やめてください!」
いきなり手を取られて、指にキスをされた。その瞬間ゾゾゾっと悪寒が背中を走り抜けて、足が動かなくなった。
彼は同情に満ちた瞳と、性欲に満ちた瞳で、私を見下ろしてる。
なんだか言葉の通じない人外に思えて、恐怖で全身が震えた。
頭を固定されて、彼の顔が近づいてきた。
いやだ、助けて、助けて、いやだ!
「稔海さっ……」
吐息が唇に触れて、わずかな声を絞り出したその時、突然眩いフラッシュが私たちを包み込んだ。
それに戸惑っていたのもつかの間、すぐに手が引き剥がされて、地べたにどさっと湯沢さんが投げ捨てられた。
恐る恐る視線を上げると、そこには怒りに震えた様子の一之瀬さんがいた。
「撤回しろ!!」
今まで聞いたこともない大きな声を張り上げて、彼は湯沢さんを怒鳴りつけた。
私は、今までの恐怖からやっと解放された安心感で、その場にへたり込んでしまいそうだったが、彼の大きな声で体に緊張が走った。
一之瀬さんがこんな風に怒るのを、私は知らなかった。